鹿のまき筆しかのまきふで
荻江節 作詞者・作曲者・初演年不詳

妻恋う鹿の毛で作った巻筆——その筆に、恋路の重き石のような固い仲を託す。しどけなく見てしまった初恋、昨日今日と結びの神に頼む娘心。逢うことさえ叶わぬので、白紙にようやく写してみても薄墨の、染めて恥ずかしい散らし書き。三十一文字を置き土産にする、恋文の小品。『徳川文芸類聚』所収の荻江節正本による。
あらすじ
妻恋うる鹿の巻筆。命、げに、恋路に重き石。とかく固い仲なる娘心の、しどもなく見てし初恋。昨日今日、結びの神さん頼みて、「しどふしたぐわちなかみさま」か。恋し、ゆかしきその人に、逢わすことさえ、そりゃ白紙。ようよう写して見ても薄墨の、染めて恥ずかし散らし書き。三十一文字、置き土産。
詞章と現代語訳
つまこふるしかのまき筆、いのちげにこひ路におもきいし
妻恋うる鹿の巻筆。命、げに、恋路に重き石——
とかくかたい中なるむすめごころの、しどもなくみてしはつごひ
とかく固い仲なる娘心の、しどもなく見てし初恋。
きのふけふ、むすぶの神さんたのみて、しどふしたぐわちなかみさまか
昨日今日、結びの神さん頼みて——「しどふしたぐわちなかみさま」か。
こひしゆかしきその人に、あはすことさへそりやしらかみ
恋し、ゆかしきその人に、逢わすことさえ、そりゃ白紙。
ようつして見てもうすゞみの、そめてはづかしちらしがき
ようよう写して見ても薄墨の、染めて恥ずかし、散らし書き。
みそじひともじおきみやげ
三十一文字、置き土産。
この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『荻江節正本』の本文(著作権消滅)による。原典は章句・合方の記号を持たない一続きの本文で、段の切れ目はこちらで読みやすく分けたものである。
原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。
「まき筆」は巻筆。軸に巻いた芯に毛をかぶせて作る筆で、鹿の毛を用いた。「妻恋う鹿」は秋の景物で、その毛の筆に恋文を書く——という趣向。
「みそぢひともじ」は三十一文字、和歌のこと。「ちらしがき」は行の頭を揃えずに散らして書く書き方。
「しらかみ」は白紙。返事のないこと、また何も書けないことを言う。
語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「いのちげにこひ路におもきいし」、「しどもなく」、「しどふしたぐわちなかみさま」。なお原典は「…みさまかこひしゆかしき」と続くところ、「…神様か/恋しゆかしき」と切って読んだ。「神様/囲し、ゆかしき」とも切れるため、断じきれない。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。