雉子きぎす
作詞者・作曲者・初演年不詳 目次の題名「きゞす」

雉子の鳴く野辺の若草を摘み捨てられた身になぞらえ、苦界の舟の寄る辺なさを嘆く。虫でさえ番を離れぬのに、と揚羽の蝶を引き合いに出し、菜種と蝶の「知らず知られぬ」の地口を経て、長い夜すがら昔語りに明かす飛鳥川に納める小品。他の曲と異なり『徳川文芸類聚』所収の『歌撰集』による。
あらすじ
雉子の鳴く野辺の若草——摘み捨てられて、人の嫁菜と、いつかさて。焦がれ焦がれる苦界の舟の、寄る辺定めぬ身は陽炎に。東が顔も見忘れて、うつつないぞや、これなあ。ほんに、あれ、虫でさえ番を離れぬ揚羽の蝶。われわれとても二人連れ、粋な同士の仲——なまじ春にも育つ花。誘う菜種は蝶の花を知らず、蝶は菜種の味を知らず。知らず知られぬ仲ならば、浮かれまいもの。さりとては、そなたの世話に、なりふりも。わが身の末の——長い夜すがら引きしめて、昔語りと、飛鳥川。
詞章と現代語訳
きゞすなく野べの若くさ、つみ捨られて、人のよめなといつかさて
雉子の鳴く野辺の若草——摘み捨てられて、人の嫁菜と、いつかさて。
こがれこがるゝ、くがいの舟のよるべ定めぬ身はかげろふに、あづまが顔も見忘れて、うつゝないぞやこれなふ
焦がれ焦がれる苦界の舟の、寄る辺定めぬ身は陽炎に。東が顔も見忘れて、うつつないぞや、これなあ。
ほんにあれ虫さへもつがひ離れぬあげはのてふ、我々とても二人づれ、粋などうしの中々に、春にもそだつ花
ほんに、あれ、虫でさえ番を離れぬ揚羽の蝶。われわれとても二人連れ、粋な同士の仲——なまじ春にも育つ花。
さそふ菜種は蝶の花しらず、蝶はなたねのあぢしらず、しらずしられぬ中ならば、うかれまい物、さりとてはそなたのせわになりふりも、我身のすへのけなれごま、ながい夜すがらひきしめて、むかしがたりとあすか川
誘う菜種は蝶の花を知らず、蝶は菜種の味を知らず。知らず知られぬ仲ならば、浮かれまいもの。さりとては、そなたの世話に、なりふりも。わが身の末の「けなれごま」——長い夜すがら引きしめて、昔語りと、飛鳥川。
この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『歌撰集』の本文(著作権消滅)により、合方の指示は省いた。原典は目次の題名を「きゞす」とし、本文の頭に調子の指定「三下り」を置く。
原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。
「雉子」は春の野の鳥。「若草摘み捨てられて」から「人の嫁菜」——嫁になるの意へ言い掛ける。嫁菜は野草の名。
「苦界」は遊女勤めの身の上をいう。「寄る辺定めぬ」は舟の縁語。
「蝶は菜種の味知らず」は、当ライブラリの「里の菜種」にも出る言いまわし。互いの心が通わないことのたとえ。
「飛鳥川」は「世の中は何か常なる飛鳥川」の歌により、明日を知らぬはかなさをいう歌枕。
語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「あづまが顔も見忘れて」、「けなれごまながい夜すがら」の切れ方。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。