逢見愛井字あいたみたさいとしいのじ
清元 本文の題名『〔梅柳さぞ若衆かな女かな〕逢見愛井字(鶏の権八)』 別題『鶏の権八』(原典の目次による) 篠田瑳助 作(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

白井権八と三浦屋の小紫の、廓の寮での逢瀬を描く一段。「鶏が啼く」と起こし、病のため石浜の寮に出養生する小紫が、亡き人の日に杜若を手向けながら恋しい人を待つ。そこへ権八が十三という名で訪れ、杜若の活け花をほめる。小紫は小袖の「丸に井の字」の紋を問いつめ、すねる男に去年の梅見月の馴れ初めを口説く。傍らでは禿のゆかりが羽子板と手毬唄、やがて二人は笑い合って、月と梅のようにむつまじく結ぶ。題の「愛井字」(いとしいの字)は、この井の字の紋と、白井の井を掛けると見られる。仮名書きの多い『柏葉集』の本文に漢字を当てた。
あらすじ
鶏が鳴く東の廓、色香を含む小紫は、病の重い身を三浦屋の石浜の寮に出養生させ、恋しい人を待つ。隅田川には鴎の羽風。小紫は、亡きじいさんの命日に手向けの杜若を活け、張りと意気地の苦界に果てはないと嘆く。待乳山、橋場の夕風に誘われるように、白井権八は忍ぶ姿の落とし差しでやって来る。恋の文も「参らせ候」ではらちがあかぬと、紫式部の若草の歌に思いを寄せる。若太夫に連れられて十三と名乗る権八が来ると、小紫は待ちかねていたと迎える。権八が杜若の活け花をほめると、小紫は小袖の丸に井の字の紋はあなたの定紋かと問う。権八ははぐらかし、よその女郎衆からもらったものかと問われると、そんなものよと答える。小紫はすねる男に、去年の梅見月に顔を合わせ、身揚がりしてまで名指しで呼んだ縁を口説き、今さらむごいと恨み涙。傍らでは禿のゆかりが羽子板を手に手毬唄を唄う。小紫は、用というのは今こうすることと抱きつき、二人は笑い合って、月と梅のようにむつまじく結ぶ。
詞章と現代語訳
鶏が啼く〔合〕昔妻の水に、馴染めて、花の蔭汲か、流れの廓、含む色香の小紫、約束堅き石浜の
鶏が鳴く東(あずま)の昔、その水に馴染んで、花の蔭の水を汲むのか、流れの廓。色香を含む小紫、約束も堅い石浜の——
三浦が寮に出養生、重き枕の、その中に、恋しき人をまつ山の、鵆にあらぬむら鴎、羽風に心すみだ川
三浦屋の寮に出養生。病の重い枕のうちに、恋しい人を待つ。待乳山の、千鳥ではない群れ鴎の羽風に、心も澄む隅田川。
いつしかと法の若菜にあらねども、手向に活けし杜若、此世を去りし爺さんの、しかも其日のめぐり来て
いつしか、法の若菜ではないけれど、手向けに活けた杜若。この世を去ったじいさんの、しかもその日がめぐって来て——
忘れぬ中に恋しさは、張と意気地に葛飾さん、逢へば嬉しき世の中の、苦界に果はないわいなア
忘れぬうちに恋しさは、張りと意気地にかつしかさん。逢えばうれしい世の中の、苦界に果てはないわいなあ。
君を待乳の由々嬉し、縁の橋場と夕風に、焦れゆかりに誘はれて
君を待つ、待乳山のいよいようれしく、縁の橋場と夕風に、焦がれるゆかりに誘われて——
縁は長き長文に、ゆふし御げんの、返すがさ実と白井が廻り気に、忍ぶ姿の落し差し、腰巾着のこませもの〔合〕
縁は長い長文に、「ゆふし御げん」の、返す返すも実と、白井の廻り気に、忍ぶ姿の落とし差し、腰巾着の小間物——
君は三夜の三日月役よ、宵にちらりと見たばかり、しよんがヘナ、恋の道草後や先、参らせ候では捗らぬ
〽君は三夜の三日月役よ、宵にちらりと見たばかり、しょんがえな。恋の道草、あとや先、「参らせ候」の文ではらちがあかぬ。
手に摘ていつしかも見ん紫の、根に通ひける野辺の若草、紫式部が歌の心、思ひ当りし言の葉も、恋の闇路に迷ふなる、身は煩悩の犬じやなア
「手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草」——紫式部の歌の心に思い当たる言の葉も、恋の闇路に迷う。わが身は煩悩の犬じゃなあ。
仮名で用事の一筆に、つい乗せられて渡し舟、棹の雫に濡れて来ぬらん
仮名で用事をしたためた一筆に、つい乗せられて渡し舟。棹のしずくに濡れて来たのだろう。
申しおいらん、十三さんを連れ申して来ましたぞへ
もし、おいらん。十三さんをお連れ申してまいりましたぞえ。
ほんに十三さん、待兼て居たはいなア
ほんに十三さん、待ちかねていたわいなあ。
これはおいらん、美しい杜若の活花、流石御風雅な事じやナ
これはおいらん、美しい杜若の活け花。さすがご風雅なことじゃな。
何のまアお前に見せるは恥かしうござんす、夫はそふと十三さん、いつぞは聞ふと思ふでゐることがござんす
なんのまあ、あなたにお見せするのは恥ずかしゅうございます。それはそうと十三さん、いつか聞こうと思っていることがございます。
サアサア何なりともお尋ねなされ
さあさあ、何なりとおたずねなされ。
ほかの事でもござんせぬが、其小袖に付ていなさんす、丸に井の字はお前の定紋でござんすかへ
ほかのことでもございませんが、その小袖に付けていなさる丸に井の字は、あなたの定紋でございますかえ。
何の事かと思ふたら、薮から棒に、何でこれを
何のことかと思ったら、やぶから棒に。なんでこれを——
ナアちつとわたしが心懸りな紋所ゆゑ
なあ、ちっとわたしの気にかかる紋所ゆえ。
イヤコリヤ我紋所じや、身貧なわしゆゑ此小袖は
いや、これは我が紋所じゃ——いや、貧しいわしのこと、この小袖は——
余所の女郎衆から貰はしやんしたのかへ
よその女郎衆からもらいなさったのかえ。
まアそんなものよ
まあ、そんなものよ。
エヽお前はなア
ええ、あなたはなあ。
拗ねる男を流し目に、それ今でさらの事ながら
すねる男を流し目に見て、それ、今さらのことながら——
思へば去年の梅見月〔合〕互に顔を川崎の、わたしが心空蝉の、蛻の床の身揚りを、無理に名指しの引つけは
思えば去年の梅見月。たがいに顔を交わした川崎の——わたしの心は空蝉の抜け殻、もぬけの床の身揚がりをして、無理に名指しで引きつけたのは、
焦れた人に逢ふ夜半の、濡て嬉しき雪解川、楽しい縁じやないかいな、それに今さら胴欲と、託ち涙の春の雨
焦がれた人に逢う夜半の、濡れてうれしい雪解川。楽しい縁ではないかいな。それに今さらむごいことをと、恨み涙の春の雨。
傍に禿が訳さへも、押絵羽子板、手毬唄〔合〕
そばでは禿が、わけもわからず、押絵羽子板に手毬唄。
宵の口舌に、無理なお客が、アレ胸づくし〔合〕取り持ち酒のさゝめごと、惜しや別れの鐘撞く坊さま、それがほんの色じや、一イ二ウ三イ四ウ〔合〕
〽宵の口舌に、無理なお客が、あれ胸ぐらを。取り持ち酒のささめごと。惜しや別れの鐘をつく坊さま、それがほんの色じゃ。ひい、ふう、みい、よう——
いつか女夫に、なりふりもなりふりも〔合〕眉毛落としてさがした羽を〔合〕
いつか夫婦に、なりふりも、なりふりも。眉毛を落として、さがした羽根を——
あだに取られた板廂、風吹く中をふくな、能い羽子の子の〔合〕春遊び、可愛らしゝ
むなしく取られた板廂。風の吹くなかを吹くな、よい羽根の子の春遊び、かわいらしい。
イヤモ、ゆかりが鞠歌、面白い事じやないかいの
いやもう、ゆかりの鞠歌、面白いことではないかいの。
イエイエ、そのよふな事より、わたしやお前にたんと用があるわいナ
いえいえ、そのようなことより、わたしはあなたにたんと用があるわいな。
そふしてその用といやるは
そうして、その用というのは。
サア其用といふのは、今こうするのじやはいナ
さあ、その用というのは、今こうするのじゃわいな。
ハテ結構な御用じやなア
はて、結構なご用じゃなあ。
さすがに痴話も相惚れに、笑ひ合ふたる春の山、ぴつたり抱き、月と梅、睦まじかりける次第なり、次第なり
さすがに痴話も相惚れのこととて、笑い合う春の山。ぴったり抱いて、月と梅のように、むつまじい次第である、次第である。
この曲は詞章の出典が他の清元と異なる。国書刊行会『徳川文芸類聚』第九 俗曲上所収『柏葉集』の本文(著作権消滅)による。目次の題名は『逢見愛井字(鶏の権八)』、本文の題名は『〔梅柳さぞ若衆かな女かな〕逢見愛井字(鶏の権八)』。原典に「作者 篠田瑳助」とある。題の読みは掲載元の記載「あいたみたさいとしいのじ」による。
原典は仮名書きが多いので、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。原典が漢字で書いている字はそのまま残した。原典の長い行は、読みやすさのため句読点や合方の切れ目で段に分けた(字句は同じ)。原典の句点(。)は読点に改めたところがある。
台詞の話し手は、原典では役者の名で〔新車〕〔新〕〔團十郎〕〔團〕と記されているので、内容から〔小紫〕〔権八〕に置き換えた。〔若太夫〕はどの役か原典からは確かめられないので、役者の名のまま残した(禿のゆかり、あるいは廓の者か)。十六段目と三十段目は話し手の記載がないが、それぞれ権八、小紫の詞と見て訳した。二段目の頭の〔新車出〕、六段目の頭の〔若太夫/團十郎出〕は役者の出を示す注記なので、本文には入れなかった。
白井権八と三浦屋の小紫を扱う。清元『権上』『権下』『時鳥霽間の雲色』も同じ二人を描くが、共通する句はない。小紫は権八を「十三さん」と呼ぶ。廓での仮の名と見たが、確かめられない。「十三」は読みが確かめられないので、ふりがなを付けていない。
題の「愛井字」(いとしいの字)は、十五段目に出る小袖の「丸に井の字」の紋と、白井権八の「井」を掛けると見た。権八は「我紋所じや」と言いかけて「身貧なわしゆゑ此小袖は」とはぐらかし、よその女郎衆からもらったものと思わせる、と見て訳した。
一段目の「鶏が啼く」は「あづま」に掛かる枕詞なので、続く「昔妻」も「あづま」に通わせる当て字かと見たが、確かめられないのでふりがなを付けていない。「花の蔭汲か」は判じかねる。「石浜」は隅田川西岸、橋場のあたりの地名で、三浦屋の寮があったとする設定と見た。
七段目の「君は三夜の三日月役よ、宵にちらりと見たばかり、しよんがヘナ」は、長唄『風流船揃』の「様はさんやの三日月様よ、宵にちらりと見たばかり、しよんがいな」と同じ流行り唄(しょんがいな節)の文句を踏む。「三夜」は「さんや」(山谷)に通わせると見られるが、読みを断じきれないのでふりがなを付けていない。
八段目の「手に摘ていつしかも見ん紫の根に通ひける野辺の若草」は、『源氏物語』若紫の巻で光源氏が若紫を思って詠む歌。原典の「紫式部が歌」は作者の名で言ったもの。
二十六〜二十八段目は、禿の唄う手毬唄(二十九段目で権八が「ゆかりが鞠歌」と言う)と見た。「一イ二ウ三イ四ウ」は羽根つき・手毬の数え歌。「ゆかり」は禿の名と見た。
繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(サア/\、なりふりも/\、イエ/\、次第なり/\)。
原典の用字「薮」、「夫はそふと」(それはそうとの意)、「聞ふ」、「思ふでゐる」、「そのよふな」「そふして」「こうする」の仮名遣いはそのまま残した。「縁」(えん・えにし)、「去年」、「三夜」、「身貧」、「羽子」は読みを断じきれないので、ふりがなを付けていない。
語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「法の若菜」、「此世を去りし爺さん」(誰を指すか)、「葛飾さん」(張りと意気地の「勝つ」に掛けるか)、「由々うれし」、「ゆふし御げん」、「返すがさ実」、「こませもの」(小間物の意か)、「さがした羽」、「板びさし」、「ふくな能い羽子の子」。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。