藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

造釻菊睦言つくりものきくのむつごと

清元  本文の題名『〔浅からず思ひそめ井のうゑき屋に〕造釻菊睦言(菊畑の三勝)』 別題『菊畑三勝』(原典の目次による)  篠田瑳助 作(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

造釻菊睦言 植木屋の棚の鉢植えの大菊
植木屋の棚の鉢植えの大菊

三勝半七の話を、植木屋の菊畑に移して仕立てた一段。金ゆえ色ゆえに身を書き入れ、思わぬ人に情けをかける女のくだりで起こし、咲き乱れる菊の花になぞらえたあてこすりから、蘭の方と弥七とのやりとりになる。隣座敷で唄われる三勝の唄——半七のための金の期日と、善右衛門の金にものを言わせた口説き——に重ねて、身を任せたのは半七に金を手渡したいばかりだったと明かし、「天晴貞女な三勝」とたたえられる。結びは「最早此世にあきの月」と、二人の浮名が石碑に残ると言い納める。仮名書きの多い『柏葉集』の本文に漢字を当てた。三勝半七の心中にちなみ、死をほのめかして結ぶ曲なので、席によっては扱いに心を配りたい。

あらすじ

常磐の松と契ったのも、今はあだな睦言。金ゆえ色ゆえに身を書き入れ、思わぬ人に情けをかけて、後ろ髪を引かれる乱れ髪。菊畑で、蘭の方に向かって、咲き乱れる菊もいつか人の眺めものになると、あてこすりのことばがかけられる。蘭の方は、思わぬ人に手折られるのを辛抱するのも、その人の寝間の様子を知るためと言いかけて口をつぐむ。隣座敷では三勝の唄が聞こえる——半七に請け合った金の期日、意地の悪い善右衛門の金ずくの口説き、思いもよらぬ恥辱、切っても切れぬ浮草の縁。善右衛門に身を任せたからこそ望みもかなったではないかと言えば、名より得の世の中、浪人より善右衛門に従えと返される。三勝は取りすがり、不忍の蓮見の雨宿りで見交わした縁を語り、先の男と添う心なら、こんな話はしないと訴える。身を任せたのは、金をととのえて半七に手渡したいばかりだったと明かされ、天晴れ貞女とたたえられる。もはやこの世に飽きの月、散る花の浮名は石碑に残るだろう。

詞章と現代語訳

常磐ときはの松まつと契ちぎりしも〔合〕今いまは仇あだなる睦むつ事ごとと、なるも金かねゆゑ、色いろゆゑに〔合〕身みを書かき入いれの文ふみの責せめ〔合〕

常磐の松のように変わらぬと契ったのも、今はあだな睦言となる。それも金ゆえ、色ゆえに、身を質に書き入れる証文に責められて——

思おもふに添そはで思おもはぬに、なげの情なさけを、懲こりもせで、逢瀬あふせを待まつと夕ゆふ月づきの、身みは空蝉うつせみの足元あしもとは、跡あとに引ひかるゝ乱みだれ髪がみ

思う人には添えず、思わぬ人に、かりそめの情けを懲りもせずかけて、逢瀬を待つという夕月の——身は抜け殻のようで、足もとは後ろ髪を引かれる乱れ髪。

〔長十郎〕

モシ蘭の方様、この菊きくの花はなも美うつくしう咲乱さきみだれて居ゐるゆゑ、こんな花はなはあるまいと思おもふうち、いつか人ひとの眺ながめとなる、あだ腹はらの立たつ菊きくの花はな

「もし、蘭の方様。この菊の花も美しく咲き乱れているので、こんな花はほかにあるまいと思ううちに、いつのまにか人の眺めものになる。なんとも腹の立つ菊の花。」

人ひとの心こゝろも知しらず、花はなによそへし今いまのあてごと、思おもはぬ人ひとの眺ながめとなり、手折たをらるゝ辛抱しんばうも、其そのあだ人びとに近寄ちかよつて、閨ねまの様子やうすを、イヤサ菊きくは不憫ふびんなものじやわいの

「人の心も知らずに、花になぞらえた今のあてこすり。思わぬ人の眺めものとなって手折られるのを辛抱するのも、そのあだな人に近寄って、寝間の様子を——いやさ、菊は不憫なものじゃわいの。」

そんなら手折たをらして、その人ひとの、ハテナア

「それなら手折らせて、その人の——はてなあ。」

金かねの代かはりに女房にようばうになれと、せがみ立たてられ、返事へんじもならず

「金の代わりに女房になれとせがみ立てられて、返事もできず——」

隣となり座敷ざしきで弾ひき唄うたふ、アノ唱歌しやうが、三勝さんかつとやらが半七はんしちに受うけあふた金かねの日ひ限ぎり、どうしやうと思おもふうち、意地いぢの悪わるい善右衛門ぜんゑもんが、金かねの権威けんゐの無理むり口説くどき

「隣座敷で弾き唄う、あの唄。三勝とやらが半七に請け合った金の期日、どうしようと思ううちに、意地の悪い善右衛門が、金の力にものを言わせての無理な口説き——」

思おもはざりにしこの恥辱ちぢよく、今いまのこの身みは捨すて草ぐさや、二人ふたりが縁をさつぱりと、切きつても切きれぬ浮うき草くさや、寄よる辺べ定さだめぬ恋こひの闇やみ

思いもよらぬこの恥辱。今のこの身は捨て草か。二人の縁をさっぱりと切っても切れぬ浮草——寄る辺の定まらぬ恋の闇。

汚けがらはしい事ことながら、善右衛門ぜんゑもんに身みを任まかせ、枕まくら交かはしたばかりに、日頃ひごろの望のぞみも叶かなふたじやござんせぬか弥七さん、サア半七はんしちが心こゝろには何なんと思おもふてゐやるやら

「けがらわしいことながら、善右衛門に身を任せ、枕を交わしたからこそ、日ごろの望みもかなったではありませんか、弥七さん。さあ、半七の心では何と思っていなさるやら。」

されば名なを取とらふより得とくの世よの中なか、尾羽をはうち枯からした浪人らうにんより、当世たうせい時ときめく善右衛門ぜんゑもんに従したがふがよいはいの

「されば、名を取るより得を取る世の中。尾羽うち枯らした浪人より、当世ときめく善右衛門に従うのがよいわいの。」

三勝さんかつ取付とりつき、のふ情なさけなや、これが世間せけんにありふれた〔合〕色いろや浮気うはきじや〔合〕あるまいし、初手しよてから知しらず知しらぬ同士〔合〕それいつぞやの巳待みまちの日ひ〔合〕

三勝は取りすがって、「のう、情けない。これが世間にありふれた色や浮気でもあるまいし。初めは知りもせぬ、知らぬ同士。それ、いつぞやの巳待の日——

〔カン〕

人目ひとめの関せきを不忍しのばずの、蓮見はすみの折をりの雨あま宿やどり、ふつと見交かはす目めづかひに〔合〕締しめ絡からむ手ても、どこやらがぴつたり、濡ぬれた汗あせの綾あや、深ふかい縁ゑにしじや〔合〕ないかいな

人目の関を忍ぶ不忍池の、蓮見の折の雨宿り。ふと見交わした目づかいに、締め絡めた手も、どこやらがぴったりと合って、濡れた汗の綾。深い縁ではないかいな。

嬉うれしい縁を神かみさんが、ひよんなお世話せわのその後に、先さきの男をとこと添そふ心こゝろなら、なんのかうした話はなしはしましよ

うれしい縁を神さまが、ひょんなお世話を焼いてくださったその後に、先の男と添う心なら、どうしてこんな話をいたしましょう。

どうぞ疑うたがひ晴はらして、ほんの女夫めをとと言いふて下くださんせと、三勝さんかつが定さだめて言いつたであらうわい

どうぞ疑いを晴らして、本当の夫婦と言うてくださいませ」と、三勝はきっと言ったであろうわい。

そんなら敵かたき、イヤサ金かねが敵かたきの善右獄門が、心こゝろの奥おくの間ま知しらんがため

「それなら敵——いやさ、金が敵の善右獄門の、心の奥の間を知ろうがために——」

金かねを調べ半七はんしちに手渡てわたししたいばつかりに

「金をととのえて、半七に手渡ししたいばっかりに——」

スリヤそれゆへに、天晴あつぱれ貞女ていぢよな三勝さんかつじやナア

「すりゃ、それゆえに。あっぱれ貞女な三勝じゃなあ。」

最早もはや此この世よにあきの月つき、嵐あらしの雪ゆきと散ちる花はなの、浮名うきなは石碑に残のこるらん

もはやこの世に飽きた、秋の月。嵐に雪と散る花の浮名は、石碑に残ることだろう。

この曲は詞章の出典が他の清元と異なる。国書刊行会『徳川文芸類聚』第九 俗曲上所収『柏葉集』の本文(著作権消滅)による。目次の題名は『造釻菊睦言(菊畑三勝』(閉じ括弧を欠く)、本文の題名は『〔浅からず思ひそめ井のうゑき屋に〕造釻菊睦言(菊畑の三勝)』。原典に「作者 篠田瑳助」とある。題の読みは掲載元の記載「つくりものきくのむつごと」による。

原典は仮名書きが多いので、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。原典が漢字で書いている字はそのまま残した。原典の長い行は、読みやすさのため句読点や合方の切れ目で段に分けた(字句は同じ)。原典の句点(。)は読点に改めたところがある。十一段目の行中にあった全角の空白は落とした。

三勝半七(女舞の三勝と、茜屋の半七の心中)の話を踏む。本文の題名の角書の「そめ井のうゑき屋」は、植木屋の多い染井(いまの東京都豊島区駒込のあたり)と「思ひそめ」を掛けると見た。題の「造釻」(つくりもの)は、菊で形を作る菊細工を指すと見たが、確かめられない。

原典では三段目の頭にだけ役者の名〔長十郎〕があり、ほかの台詞には話し手の記載がない。三段目は蘭の方に向かって言う詞、四・六段目と九段目の「弥七さん」と呼びかける詞は蘭の方の詞、五・十段目は相手(弥七か)の詞と見て訳したが、誰が誰に言うのか、蘭の方と三勝の重なり方も含めて断じきれない。〔長十郎〕がどの役を勤めたかも確かめられない。役名の「蘭の方」「弥七」は読みが確かめられないので、ふりがなを付けていない。

七段目の「となり座敷でひきうたふアノ唱歌」以下、八段目と十一〜十三段目は、隣座敷で唄われる三勝の唄の文句、あるいはそれになぞらえて語る詞と見た。十五段目の「善右獄門」は、善右衛門を獄門に言い換えてののしる言葉と見て、原典のままとした。十五段目と十六段目は、原典では一行のなかで「 で区切られているので、二段に分けた。

十一段目の「巳待」は己巳の日に弁財天を祀る行事、十二段目の「不忍の蓮見」は上野不忍池(弁天堂がある)の蓮見で、「人目の関を忍ぶ」に不忍を掛ける。十八段目の「あきの月」は「飽き」と「秋」を掛けると見て、仮名のまま残した。

原典の用字「美う」(美しうの意)、「天晴」(あっぱれ)、「ゆへ」はそのまま残した。「縁」(えん・えにし)、「後」、「石碑」、「金を調べ」の「調」は読みを断じきれないので、ふりがなを付けていない。

語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「身をかきいれの文のせめ」(身を質に入れる証文の意と見た)、「あだ腹の立つ」、「花によそへし今のあてごと」、「心のおくの間」、「金を調べ」(金をととのえる意と見た)。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。