藪椿誰転寝やぶつばきたれところびね
清元 狂言堂左交 述(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

廓の遊女と、宝の硯を詮議する身で病に伏す恋人との忍び逢いを描く一曲。いつまで草・森の下露と眠られぬ恋の憂さから起こし、人目を忍んで届いた返事の文を見て飛び立つ思いの遊女は、丑三つ、格子を押しのけて屋根を伝い、しごきを力に見越しの松から降りて、お菊の迎えで恋人に逢う。宝の硯が見つかって恋人が元の主家へ帰参するまでは、どんな苦界に沈もうともと誓う口説きに、淡路島・須磨・明石の歌枕を連ね、間には神仏の名に地口を掛けた滑稽な懺悔の唱え言をはさむ。やつれた姿を嘆き、成田の御籤に長い別れと出たことを語って一緒に殺してくれとすがるところへ、禿が若い者に引き立てられ、遣手の声も聞こえて、二人は別れ別れに走り去る。
あらすじ
いつまで草の名のように、いつになったら涙の袖が乾くのか。寝もやらず夜半の鐘を数える憂い恋。人目を忍ぶ返事の文が届くと、遊女はひと目見るなり飛び立つ思いで、病の恋人を早く本復させ、格子先で顔を見交わしたいと願う。廓の習いで夜を昼に替える身ながら、丑三つ、簾子の格子を押しのけて屋根を伝い、見越しの松にしごきを掛けて降りると、犬の声。お菊が走り出て迎え、二人は逢いたかったと抱き合って、言葉もなく泣くばかり。遊女は、宝の硯を詮議してあなたが元の主家へ帰参するまでは、どんな苦界に沈んでも夜も眠らず待つと誓う。神仏の名に地口を掛けた懺悔の唱え言がはさまったあと、遊女は、思い詰めて病にやつれた恋人の姿を嘆き、ご帰参を願って成田の開帳へ代参を立てて引いた御籤に長い別れと出たことを語り、どうせかなわぬなら一緒に殺してと泣きすがる。そこへ路地口が騒がしくなり、禿の波江が若い者に引き立てられ、遣手の声も荒々しく、二人はこの世の地獄と、別れ別れに走り去る。
詞章と現代語訳
いつまで草のいつかさて、思を干さん衣手の、森の下露起きもせず、寐もせで夜半のかね言を、数へてつもる憂き恋の、山井の底の深緑
いつまで草の名のように、いつになったら、さて、涙の袖を干せるのだろう。袖は森の下露に濡れたまま。起きもせず寝もせず、夜半の鐘と、かねて交わした言葉を数えて積もる憂い恋は、山の井の底の深緑のように深い。
忍ぶ返事は跡ひかぬ、駒下駄さへも抜足の、温順やかに急ぎ行く
人目を忍ぶ返事を届ける使いは、跡を残さぬよう駒下駄さえ抜き足で、もの静かに急いで行く。
いだせば漸く手を延紙に、こまこま文の紅筆を、ひと目見るより飛立つ思
取り出せば、待ちかねて手を伸べる。延紙に紅筆でこまごまと書いた文を、ひと目見るなり飛び立つ思い。
情も人の為ならず、あなたの御病気一日も、早う本腹させ申し、そして何うして格子先、お顔を見もせ見せまして、勤の憂さを忘れ草、ちよつと吸付けたまさかに、化けあがつて居続に、昼も屏風の木下闇
情けは人のためならず。あなたのご病気を一日も早く本復させ申し、そしてどうにかして格子先で、お顔を見もし見せもして、勤めの憂さを忘れたい。ちょっと吸い付け煙草を差し上げたのがたまさかの縁で、化けあがって居続けとなり、昼も屏風の陰の木下闇——
廓の習と夜を昼に、かはる瀬川のつま思ひ、身のうしみつを指折れば、四つ九つや八つ目の、簾子の格子押のけて、まだ文も見ぬ家根づたひ、
廓の習いで夜を昼に替える勤め。移り変わる瀬川の流れのように、夫を思う身の憂さ。丑三つを指折り数えれば、四つ、九つ、八つ。八つ目の簾子の格子を押しのけて、まだ踏んだこともない屋根伝い、
天の橋立つま立てゝ、見越の松にうち掛くる、つたのをがせの夫ならで、しごきを力にやうやうと、下にうち伏し犬の声
天の橋立ならぬ爪先立って、見越しの松に打ち掛ける。蔦やさるおがせではなく、しごきの帯を力にしてようやく降り、下に身を伏せれば、犬の吠える声。
お菊はそれと走り出で、窺ひよつて
お菊はそれと気づいて走り出て、様子をうかがい寄って、
と言ふ間遅しと打連ぬ
と言うのも待ちかねて、連れ立って行った。
逢ひたかつたと抱きつき、互に引締め抱きつめ、更に言葉は泣くばかり、お菊も貰ひ泣きくずをれ、斯ては果じと気を励し
逢いたかったと抱きつき、互いに引き締めて抱きしめ、言葉は出ずにただ泣くばかり。お菊ももらい泣きして崩れ伏したが、これではきりがないと気を励まして、
此の上どんな浅ましい、辛い苦界に沈むとも、宝の硯詮義して、目出度う本地へ御帰参の、元のお姿見る迄は、どうせ夜の目は淡路島、幾夜寐覚も帯と解て、心は須磨の裏千鳥、泣き明石潟袖しぼる
この上どんなにあさましく辛い苦界に沈もうとも、宝の硯を詮議して、めでたく元の主家へ帰参なさる元のお姿を見るまでは、どうせ夜の目も合うまい。淡路島に通う千鳥のように幾夜も寝覚めて、帯も解けたまま、心は須磨の浦の千鳥、泣き明かす明石潟に袖をしぼる。
さんげさんげ六根大しやう、おしめとおはつと根よく端うたに浮し立てられ、有頂転倒大日如来
懺悔懺悔、六根清浄ならぬ六根大しょう。おしめとおはつに、根気よく端唄で浮かれ立たされ、有頂天に転倒の大日如来。
仮宅遊びが大すきめう神、其処で家には飯綱の権現、かしまに勘当うけずの明神、今日も流して泊り鴉のかアかア加賀には白山権現、
仮宅遊びが大好き明神。そこで家には飯綱の権現、かしまに勘当受けずの明神。今日も流連して泊まり鴉のかあかあ、加賀には白山権現。
借金駿河の冨士ほどあつても、びくとも浅間大菩薩、哀愍納受のいちじゆ礼拝敬つて申す
借金が駿河の富士ほどあっても、びくともせんの浅間大菩薩。哀愍納受の、いちじゅ礼拝、敬って申す。
それその様に平生から、一図にものを思ひつめ、果は病に
それ、そのように日ごろから、一途にものを思い詰め、果ては病に——
情ない、やつれさんしたお姿に
情けない、すっかりおやつれになったお姿で。
今宵初めて逢ふたとき、抱きつかうにも痛はしい、何故患ふて下さんした、ついした事と聞た故
今宵はじめて逢ったとき、抱きつこうにもいたわしい。なぜ患ったりなさったのです。ちょっとしたことと聞いていたので——
お前のお身を御帰参の
あなたのお身の上が、ご帰参のかなうように、
為に成田の開帳へ、代参たてゝお抽籤を、とれば此の身の吉ならず、長い別と判断を、聞て身も世もあらばこそ、所詮叶はぬことならば、一所に殺して下さんせと、すがり身悶え泣沈む
と成田の開帳へ代参を立ててお御籤を引けば、この身には吉と出ず、長い別れと判じられた。それを聞いて身も世もない思い。どうせかなわぬことならば、一緒に殺してくださいませと、すがりついて身もだえし、泣き沈む。
折から路地口騒がしく、禿波江を若い者、襟上とつて引立てる、遣手のつめもつかうどごへ
折から路地の入口が騒がしく、禿の波江を、廓の若い者が襟髪をつかんで引き立てて来る。遣手の詰め寄る声も荒々しく、
しごうの死苦と此の世の地獄、別れ別れて走り行く
しごうの死苦と、この世の地獄。二人は別れ別れに走り去る。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
原典に「狂言堂左交述」とある。どの狂言の一場によるかは原典に記されず、確かめられない。
原典の長い行は、読みやすさのため読点の切れ目で段に分けた(字句は同じ)。「廓の習と」の行と「仮宅遊びが」の行を、それぞれ二段にした。
台詞と地の文の分かれ目、話し手は原典に記されていない。四段目「情も人の為ならず」以下と、十四段目以下の口説きは遊女の詞と見て訳した。病に伏しているのは恋人のほうと見たが、原典からは断じきれない。
遊女の名は原典に明記されない。五段目「かはる瀬川」は、変わる瀬の流れに、遊女の名(瀬川)を掛けたものかとも見られるが、確かめられない。お菊・禿の波江と恋人との関わりも原典からは確かめられない。「波江」は読みが確かめられないので、ふりがなを付けていない。
七段目「窺ひよつて」と八段目「と言ふ間遅しと」のあいだは、原典では台詞が省かれているように見えるが、原典のまま続けた。
五段目「まだ文も見ぬ」と六段目「天の橋立」は、小式部内侍の歌「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」によるもので、文(ふみ)と踏みを掛けている。十段目の「淡路島」「幾夜寐覚」「須磨」「千鳥」は、源兼昌の歌「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」による。
十一〜十三段目は、神仏の名に地口を掛けた滑稽な懺悔の唱え言で、遊びが過ぎて勘当されかけた身を戯れに唱えるもの。誰が唱えるのかは原典に記されていない。「大しやう」(六根清浄のもじり)、「大すきめう神」(大好きと明神)、「かしまに」(鹿島明神を掛けるか)、「流して」(流連か)、「びくとも浅間」(びくともせんと浅間)などの掛け方は、断じきれないものも訳では原典に沿って置いた。
語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「化けあがつて」、「簾子の格子」(「簾子」は読みが確かめられないのでふりがなを付けていない)、「夫ならで」(それならでか、夫を掛けるか)、「いちじゆ礼拝」、「つめもつかうどごへ」、「しごうの死苦」。
「温順やかに」は読みが確かめられないので、ふりがなを付けていない。
繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(こま/\、やう/\、さんげ/\、かア/\、別れ/\)。
原典の用字「本腹」(本復)、「詮義」(詮議)、「有頂転倒」、「冨士」、「一図」はそのまま残した。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。