羅生門らしょうもん
原典に「杵屋勘五郎述」とあるのみ 作詞者・初演年不詳 松羽目物 能『羅生門』による

源頼光の酒宴の席で、九条の羅生門に鬼が棲むという噂が出る。平井保昌との言い争いから、渡辺綱がただ一騎で門へ向かい、標の札を立てて帰ろうとしたところを鬼神に襲われる。斬り結んで腕を落とし、鬼神は「時節を待ちてまた取るべし」と言い残して虚空へ去る。
あらすじ
治まる花の都、風も音を立てない春の日。頼光は大江山の鬼神を従えて以来、貞光・季武・綱・公時を伴って朝暮に参会している。今日も雨で徒然なゆえ酒をすすめようと、盃を取り交わす兵の交わり。「保昌、この頃都に珍しいことはないか」と問えば、「九条の羅生門に鬼神が棲み、暮れると人が通らぬと申します」との答え。頼光が「土も木もわが大君の国、鬼の宿と定めてよいものか」と咎めると、保昌は「では今夜にも行ってご覧なされ」と言い返す。綱は「保昌に遺恨はないが、一つは君の御為」と標の札を受け取り、御前を立ち出る。籠る鬼を従えなければ再び人に顔を向けまいと、物の具を肩に掛け、兜の緒を締め、重代の太刀を佩き、猛る馬に乗って舎人も連れずただ一騎、二条大宮を南へ歩ませる。春雨の音も頻りに更ける夜、東寺の前を過ぎて九条表へ出れば、羅生門は物凄まじく雨が落ち、俄に吹く風に駒も進まず高嘶く。馬を乗り放って石段を上り、標の札を立てて帰ろうとすると、後ろから甲の錣を掴んで引き上げられる。すわ鬼神と太刀を抜けば、甲の緒を引きちぎられて壇から飛び下りる。鬼神は怒って甲を投げ捨て、その丈は門の軒に等しく、両眼は日月のごとくに綱を睨む。綱は騒がず太刀を差しかざし、「王地を犯す天罰を逃れられまい」と斬りかかる。鉄杖を振り上げるのを飛び違って斬り、組み付くのを払う剣に腕を打ち落とされ、鬼神は虚空をさして上ってゆく。追えば黒雲が覆い、「時節を待ちてまた取るべし」と呼ばわる声も幽かに聞こえる。その鬼神よりも恐ろしかった綱は、こうして名を上げたのであった。
詞章と現代語訳
治まる花の都とて、治まる花の都とて、風も音せぬ春べかな
よく治まる花の都とて、よく治まる花の都とて——風も音を立てない、のどかな春であることよ。
抑々是は源の頼光とは我が事なり、扨も丹州大江山の鬼神を随へしより此方、貞光季武綱公時此の人々を伴ひ、朝暮参会仕り候、今日も又雨降り徒然に候程に、酒をすすめばやと存じ候
そもそもこれは、源頼光とは私のことである。丹波の大江山の鬼神を従えてよりこのかた、貞光・季武・綱・公時のこの者たちを伴って、朝夕に参会している。今日もまた雨降りで手持ち無沙汰であるから、酒をすすめようと思う。
有難や四海の安危は掌の内に照し、百王の離乱は心の内にかけたり、曇りなき君の御陰は久方の、空も長閑けき春ぞ久しき
有難いことよ。四海の安危は掌の内に照らし、百王の乱れは心のうちに掛けている。曇りなき君の御陰のもと、空ものどかな春がいつまでも続く。
如何に面々、誠に興も候はねど、此の春雨の晴間なく、昨日も今日も暮ぬとて、入相の鐘つくづくと
これ皆の者、まことに興というほどのこともないが、この春雨に晴れ間もなく、昨日も今日も暮れてしまったと、入相の鐘をつくづくと聞きながら。
春の眺の淋しきに、伴ひ語らふ諸人に、神酒を進めて盃の、取りどりなれや梓弓、矢猛心のひとつなる、兵の交り頼みある中の酒宴かな
春の眺めの淋しさに、伴い語らう人々に神酒をすすめて、盃も取り取りに。梓弓を引くような猛き心をひとつにした、兵たちの頼もしい交わりの酒宴であることよ。
いかに保昌
「これ、保昌」。
御前に候
「御前に控えております」。
此の程都に珍しき事は候はぬか
「この頃、都に何か珍しいことはないか」。
さん候九条の羅生門にこそ鬼神の住で、暮れば人の通らぬ由申候
「さようでございます。九条の羅生門にこそ鬼神が棲みつき、日が暮れると人が通らぬと申しております」。
暫く土も木も、我が大君の国なれば、何処か鬼の宿と定めんと聞く時は、仮令鬼神の住めばとて住ませて置かるべき、斯る疎忽なる事を仰せ候ものかな
「しばらく待て。土も木もわが大君の国であるからには、どこを鬼の宿と定めようというのか。たとえ鬼神が棲みついたとて、そのまま棲ませておいてよいものか。なんと粗忽なことを申されるものよ」。
何と某が御前にて疎忽を申候や
「何と、それがしが御前で粗忽を申したと仰せか」。
中々の事
「いかにも、そのとおり」。
誠左様に思召さば、今夜にもあれ羅生門に行き御覧候へ
「まことにそうお思いなら、今夜にでも羅生門へ行ってご覧なされ」。
扨も某が行くまじき者と御覧じ、限りて承り候由さらば標を立て帰るべしと、左もあらげなく言いければ、満座の輩一同に、是は無益と支へける
「さてはそれがしを行かぬ者とご覧になったか。しかと承った。ならば標を立てて帰って参ろう」と、こともなげに言ったので、満座の者が一同に「これは無益なこと」と押しとどめた。
イヤ保昌に対して遺恨はなけれども、一つは君の御為なれば標をたべと申けり
「いや、保昌に対して遺恨があるのではない。ひとつには君の御為であるから、標をお与えくだされ」と申した。
実に綱が申する如く、標を立てて帰るべしと、札を取り出でたびければ
「まことに綱の申すとおり、標を立てて帰るがよい」と、札を取り出してお与えになったので。
綱は標を給はりて、綱は標を給はりて、御前を立て出にける
綱は標を賜って、綱は標を賜って、御前を立ち出たのであった。
立帰り方々は人の心も陸奥の、安達が原にあらねども、籠れる鬼を随へずは、再び又人に面を向くる事あらじ、是迄なりや梓弓、引けば返さじ武士の、矢猛心ぞ恐ろしき
立ち帰る道すがら——人の心も陸奥の安達が原ではないが、そこに籠る鬼を従えずには、二度と人に顔を向けることはあるまい。これまでと梓弓を引いたからには引き返しはせぬ、その武士の猛き心の恐ろしいことよ。
扨も渡辺の綱は仮初の、人の言葉の争により、鬼神の姿を見んために、物の具取つて肩に掛け、同じ毛の兜の緒をしめ、重代の太刀を佩き、猛りたる馬に打乗つて、舎人をも連れず只一騎、宿所を出でて二条大宮を、南頭に歩ませたり
さても渡辺綱は、ふとした言葉の争いから鬼神の姿を見んがために、物の具を取って肩に掛け、揃いの毛の兜の緒を締め、重代の太刀を佩き、猛る馬に打ち乗って、舎人も連れずただ一騎、宿所を出て二条大宮を南へと歩ませた。
春雨の音も頻に更くる夜の
春雨の音もしきりに、更けてゆく夜の。
音も頻に更くる夜の
音もしきりに、更けてゆく夜の。
東寺の前を打ち過ぎて九条表にうつて出で、羅生門を見渡せば、物凄じく雨落ちて
東寺の前を打ち過ぎて九条表へ出て、羅生門を見渡せば、物凄まじく雨が落ちて。
俄に吹き来る風の音に、駒も進まず高嘶き身振ひしてこそ立つたりけれ
俄に吹きつける風の音に、駒も進もうとせず、高くいななき、身震いして立ちすくむのであった。
其の時馬を乗放ち、その時馬を乗放ち、羅生門の石段に上り、標の札を取り出し、壇上に立て置き帰らんとするに
その時、馬を乗り放ち、その時、馬を乗り放って、羅生門の石段を上り、標の札を取り出して壇上に立て置き、帰ろうとしたところ。
後より甲の錣を捉んで引き上げければ
後ろから甲の錣を掴んで引き上げられたので。
スハヤ鬼神と太刀抜きて持つて切らんとするに
すわ鬼神よと太刀を抜き、斬ろうとすると。
取つたる甲の緒を引きちぎつて
掴まれていた甲の緒を引きちぎって。
覚えず壇より飛下りたり
思わず壇から飛び下りたのであった。
斯くて鬼神は怒をなして、かくて鬼神は怒をなして、持つたる甲をかつぱと投げ捨て、その丈衡門の軒に等しく、両眼日月の如くにて、綱を白眼んで立つたりける
こうして鬼神は怒りをなし、こうして鬼神は怒りをなして、掴んでいた甲をかっぱと投げ捨てた。その丈は門の軒に等しく、両眼は日月のごとくに、綱を睨んで立ちはだかったのであった。
綱は騒がず太刀差しかざし、綱は騒がず太刀差しかざし、汝知らずや王地を犯す、其の天罰のがるまじとて掛りければ
綱は騒がず太刀を差しかざし、綱は騒がず太刀を差しかざし——「汝は知らぬか、王地を犯すその天罰は逃れられぬぞ」と斬りかかったので。
鉄杖を振上げゑいやと打つを
鬼神が鉄杖を振り上げ、えいやと打ちかかるのを。
飛び違つて丁と切る
飛び違って、ちょうと斬る。
切られて組付くを
斬られて組み付いてくるのを。
払う剣に
払う剣に。
腕打落され、怯むと見えしがわきつぢに上り、虚空をさして上りけるを
腕を打ち落とされ、ひるんだと見えたが、脇道へ上がり、虚空をさして上っていったのを。
慕ひ行けども黒雲覆ひ、時節を待ちて又取るべしと、呼はる声も幽に聞ゆる鬼神よりも、恐ろしかりし綱は名をこそ上げにけれ
追いすがって行くけれども黒雲が覆い、「時節を待って、またこの腕を取り返そう」と呼ばわる声も幽かに聞こえる。その鬼神よりも恐ろしかった綱は、こうして名を上げたのであった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方〔合〕の指示は省いた。底本に「立て立にける」とあるのを、振り仮名「たつていでにける」に従い底本の注記どおり「立て出にける」に、「衝門」とあるのを振り仮名「かうもん」に従い「衡門」に改めた。
能『羅生門』による松羽目物。源頼光の四天王のひとり渡辺綱が、羅生門の鬼の腕を斬り落とす武勇譚。斬られた腕を鬼が取り返しに来る後日談が能『鉄輪』や謡曲『茨木』に続く。
「保昌」は平井保昌(藤原保昌)。頼光と並ぶ武勇の人。この曲では綱と言い争う役どおりに置かれる。
「貞光・季武・綱・公時」は頼光四天王。碓井貞光、卜部季武、渡辺綱、坂田公時。
「梓弓」は「引く」「張る」に掛かる枕詞。「矢猛心」は矢のように猛々しい心。
「安達が原」は陸奥の歌枕で、鬼女の棲むという伝説の地。「人の心も陸奥の」から掛けている。
「標」は、そこまで行ったという証しに立てる札。
「錣」は兜の左右から後ろへ垂れて首を守る部分。
「衡門」は二本の柱に横木を渡しただけの門。ここでは羅生門の高さをいう。
「王地」は王の治める土地。国土を犯す者には天罰が下るという理屈で斬りかかる。
作詞者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。