藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

筑摩川ちくまがわ

原典に「杵屋林鷲述」とあるのみ  作詞者・初演年不詳

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筑摩川 増水の渡河
増水の渡河

秋の長雨に増水した筑摩川を、驕った領主が家臣の諌めも聞かず馬で押し渡ろうとする。又助が刃を光らせて川へ入り、警固の臣も馬面を揃えて続く。渡る人馬のさまを修羅の巷にたとえた勇壮な一曲。

あらすじ

そもそも木曽山の南面に落ち合う水が筑摩川である。折しも秋の習いで長雨が続き、それもようやく晴れたが、雨後の川水はいよいよ増した。名高い大井川の満水もこうであろうかと思わせる川面、矢よりも早い急流は、目ざましくもまた恐ろしい。さてもここに、驕り高ぶった大領が、家臣の諌めを小賢しいと退け、水馬の先駆けをせんと名馬に鞭をあてられる。その様子を心得たりと又助が、忍んでいた蘆原を押し分けて立ち出る。その影もきらめき、刃の光も鋭く、ざんぶと川へ乗り入れる。君の勇気に劣るまいと、警固の臣たちも馬面を揃えて大河の遠浅へ乗り入れる。上手のほうへ半町あまり登ろうとすれば水勢に押し戻され、そのたびに大石に助けられて踏みとどまる。渡る人馬のさまは戦場の修羅の巷と変わらない。危うくもあり、勇ましくもある次第であった。

詞章と現代語訳

木曽山きそやま南面なんめんに、落合おちあみづ筑摩川ちくまがは

そもそも木曽山の南面に落ち合う水、それが筑摩川である。

ころしもあきならひにて、つづ霖雨りんうもややれて、雨後うご川水かはみづいよいよまさり

折しも秋の習いで長雨が続き、それもようやく晴れたけれども、雨後の川水はいよいよ嵩を増して。

にし大井おほゐ満水まんすいも、かくやとおもかはおもよりもはや急流きふりうは、ざましくもまたおそろしき

名高い大井川の満水もこうであろうかと思わせる川面。矢よりも早い急流は、目を奪うほど見事であり、また恐ろしい。

さて我慢がまん大領だいりやうが、臣下しんかいさめ小賢こざかしと、水馬すいばのためしさきがけの、名馬めいばむちをあてたま

さてもここに、驕り高ぶった大領が、家臣の諌めを小賢しいと退けて、水馬の手本を示す先駆けとばかりに、名馬に鞭をあてられる。

様子やうすたりと又助またすけが、しの蘆原あしはら押分おしわけて、立出たちいかげもきらめきし、やいばひかりするどくも、ざんぶとかはもなく

その様子を心得たりと、又助が身を潜めていた蘆原を押し分けて立ち出る。その影もきらめき、刃の光も鋭く——ざんぶと川へ乗り入れるや否や。

きみ勇気ゆうきおとらじと、警固けいごしん馬面うまづらをそろへ、乗入のりい大河たいが遠浅とほあさ

主君の勇気に劣るまいと、警固の臣たちも馬の面を揃えて、大河の遠浅へと乗り入れる。

上手かみてかた半町はんちやうあまり、のぼるとすれば水勢すいせいの、ちからおさ一同いちどうに、もどりてはまた大石おほいしたすけによりてみとどまり

上手のほうへ半町あまり登ろうとすれば、水勢の力に押されて一同もろとも押し戻され、そのたびに大石に助けられて踏みとどまる。

わた人馬じんば戦場せんぢやうの、修羅しゆらちまたことならず

渡る人馬のさまは、戦場の修羅の巷と少しも変わらない。

あやうかりける、いさましかりける次第しだいなり

危ういことであり、また勇ましいことであった。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方〔合〕の指示は省いた。

「筑摩川」は信濃を流れる千曲川のこと。木曽の山々の水を集め、越後に入って信濃川となる。

「霖雨」は幾日も降りつづく長雨。

「大井」は東海道の大井川。増水すると川留めになる難所として知られ、大水のたとえに用いられる。

「我慢」は仏語で、驕り高ぶって人を見下すこと。「大領」は郡の長官で、ここでは領主をいう。

「水馬」は馬に乗って川を渡る武術。

「策」は馬に当てる鞭。

「修羅の巷」は阿修羅の争う場所、転じて戦場をいう。

「我慢の大領」「又助」は、もととなった浄瑠璃または歌舞伎の趣向によると思われるが、原典に説明がない。

作詞者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。