神田祭かんだまつり
清元 本名題『〆能色相図』 三升屋二三治 述 作曲者・初演年不詳

江戸の天下祭・神田明神の祭礼を背景に、鳶の頭と芸者の粋な仲を描く曲。清元でもとりわけ賑やかで、今も祭りの季節によく演奏される。前半は廓の場——三浦屋の格子先、丸に「い」の字と重ね扇に三升の紋を命と掛けた男の伊達姿、籠の鳥の身を嘆く女の口説き。二上りからは月に雁の道行を経て、いよいよ「今日ぞ祭に当たり年」。警護、手古舞、桟敷の毛氈、神田囃子と江戸中が沸き立つなかを、勇み肌の若い衆が身姿を揃えて練る。結びは木遣りの声——やんれ曳け曳けよい声かけて——から屋根船の痴話、東雲の鐘で仲直り。獅子王の万歳千秋、牡丹は家のもの、御江戸の恵みぞありがたき、と納める。夏の席・祭礼の季節に向く。
あらすじ
秦の始皇の阿房宮、その全盛にはあらねども、粋な心の三浦屋の——ちゃはや上総屋両助と、気転も菊の籬さえ、山谷風流のあらましを、松の位の品定め。君が由縁と思えばよしや、扇を顔に、はな平太。ちょっと格子へ呼子鳥、人目思わで通い路の、思い競べん恋の山。富士と筑波をなかなかに、よう似た、よう似た、心も姿も、勝り劣らぬ花紅葉。中に柳のどちらへ靡く、風次第とは浮気らしい。丸に「い」の字を命と掛けて、重ね扇に三升とは、模様も同じ益荒男の、色の手管もやさしけれ。ほんに私も籠の鳥。苦界のうちは初会から、嘘も口舌も言うたとて、それ見やしゃんせ世の中は、籬に菊の乱れ咲き。うれしがらせて憎らしい。千に一つも誠なら、もったいないではないかいな。見返り柳、合いの手に。月をたよりに夜の雁、ふたつ、みっつ、よっつ並んで通う道を照らして忍ぶとは、あんまり粋な山の端に、瀬でき来て濡れるか、しょんがいな、しどもなや。采女の衣にあらねども、二人はやらじと慕いゆく。ひととせを、今日ぞ祭に当たり年。警護、手古舞、華やかに、飾る桟敷の毛氈も、色に出にけり酒機嫌。神田囃子も競いよく。来て見よかし、花の江戸。祭に対の華麗模様。牡丹、鐶菊、裏菊の、由縁もちょうど花尽くし。祭のなあ、華麗な若衆が、勇みに勇み、身姿を揃えて、やれ囃せ、それ囃せ。花車、手古舞、警護に行列、よんやさ。男伊達じゃの、やれこれさ、達引じゃのと、言うて私に困らせる。色の欲ならこっちでも。常から主の仇な気を知っていながら女房に、なってみたいの欲が出て、神や仏を頼まずに、義理も糸瓜の革羽織。親分さんのお世話にて、渡りも付けて、これからは、世間かまわず人さんの前憚らず夫婦ぞと、楽しむうちにまた外へ。それから闇と口癖に。森の子鴉、われはまた、尾羽を烏の羽根さえも、なぞとあやつが得手物の、ここが木遣の家の株。やあ、やんれ曳け曳け、よい声かけて、えんやらさ。やっと漕ぎ出す屋根船見れば、憎や簾が顔かくす。何でもこっちを向かしゃんせ。よいよい、よんやな。よい仲同士の諍いなら、痴話と口舌は何でもかんでも今夜もせい。東雲の明けの鐘、ごんと鳴るので仲直り、すんましたよ。よいよい、よんやな。そうよが締めかけ、中綱。えんや、えんや、これはあれはさのえ、えんやらよう。げにも上なき獅子王の、万歳千秋限りなく、牡丹は家のものにして、御江戸の恵みぞありがたき、ありがたき。
詞章と現代語訳
秦の始皇の阿房宮、その全盛にあらねども、粹な心の三浦屋の〔合〕ちやは上総屋両助と、気転も菊の籬さへ、山谷風流あらましを、松の位の品定め
秦の始皇の阿房宮、その全盛にはあらねども、粋な心の三浦屋の——ちゃはや上総屋両助と、気転も菊の籬さえ、山谷風流のあらましを、松の位の品定め。
君が由縁と思へばよしや、扇を顔にはな平太、ちよつと格子へ呼子鳥、人目思はで通路の、思ひ競べん恋の山〔合〕不二と筑波をなかなかに、よう似たよう似た心も姿も、勝り劣らぬ花紅葉、中に柳のどちらへ靡く、風次第とは浮気らし、丸にいの字を命とかけて、重ね扇に三升とは、模様も同じ益荒夫の、色の手管もやさしけれ
君が由縁と思えばよしや、扇を顔に、はな平太。ちょっと格子へ呼子鳥、人目思わで通い路の、思い競べん恋の山。富士と筑波をなかなかに、よう似た、よう似た、心も姿も、勝り劣らぬ花紅葉。中に柳のどちらへ靡く、風次第とは浮気らしい。丸に「い」の字を命と掛けて、重ね扇に三升とは、模様も同じ益荒男の、色の手管もやさしけれ。
ほんに私も籠の鳥、苦界のうちは初会から、嘘も口舌もいふたとて、それ見やしやんせ世の中は、籬に菊の乱れ咲、嬉しがらせて憎らしい、千に一つも誠なら、勿体ないではないかいな、見返り柳合の手に
ほんに私も籠の鳥。苦界のうちは初会から、嘘も口舌も言うたとて、それ見やしゃんせ世の中は、籬に菊の乱れ咲き。うれしがらせて憎らしい。千に一つも誠なら、もったいないではないかいな。見返り柳、合いの手に。
『月をたよりに夜の雁、ふたつみつよつ並んで通ふ〔合〕道を照して忍ぶとは、あんまり粹な山の端に〔合〕せできて濡るゝか〔合〕しよんがいなしどもなや
月をたよりに夜の雁、ふたつ、みっつ、よっつ並んで通う道を照らして忍ぶとは、あんまり粋な山の端に、瀬でき来て濡れるか、しょんがいな、しどもなや。
うねめのきぬに有ねども、二人はやらじと慕ひゆく〔合〕
采女の衣にあらねども、二人はやらじと慕いゆく。
ひとゝせを、今日ぞ祭に当り年、警護手古舞華やかに、飾る桟敷の毛氈も、色に出にけり酒機嫌、神田囃子もきほひよく〔合〕
ひととせを、今日ぞ祭に当たり年。警護、手古舞、華やかに、飾る桟敷の毛氈も、色に出にけり酒機嫌。神田囃子も競いよく。
来て見よかし〔合〕花の江戸〔合〕祭に対の華麗模様、牡丹〔合〕鐶菊裏菊の、由縁も丁度〔合〕花尽し〔合〕
来て見よかし、花の江戸。祭に対の華麗模様。牡丹、鐶菊、裏菊の、由縁もちょうど花尽くし。
祭のなア、華麗な若衆が、勇みに勇み、身姿を揃へて、やれ囃せそれ囃せ、花華車手古舞警護に行列、よんやさ、男達ぢやのやれこれさ、達引ぢやのと、言ふて私に〔合〕困らせる
祭のなあ、華麗な若衆が、勇みに勇み、身姿を揃えて、やれ囃せ、それ囃せ。花車、手古舞、警護に行列、よんやさ。男伊達じゃの、やれこれさ、達引じゃのと、言うて私に困らせる。
色の欲ならこつちでも
色の欲ならこっちでも。
常から主の仇な気を〔合〕知つて居ながら女房に、成つて見たいの欲が出て〔合〕神や仏を頼まずに、義理も糸瓜の革羽織、親分さんの御世話にて〔合〕わたりも付けてこれからは、世間かまはず人さんの、前憚らず女夫ぞと〔合〕楽しむうちに又外へ、それから闇と口癖に
常から主の仇な気を知っていながら女房に、なってみたいの欲が出て、神や仏を頼まずに、義理も糸瓜の革羽織。親分さんのお世話にて、渡りも付けて、これからは、世間かまわず人さんの前憚らず夫婦ぞと、楽しむうちにまた外へ。それから闇と口癖に。
森の子鴉われはまた、尾羽をからすの羽根さへも、なぞと彼奴か得手物の、茲が木遣の家の株
森の子鴉、われはまた、尾羽を烏の羽根さえも、なぞとあやつが得手物の、ここが木遣の家の株。
ヤアやんれ曳け曳けよい声かけて、ゑんやらさ、やつと漕ぎ出す屋根船見れば、憎や簾が〔合〕顔かくす、何でもこつちを向しやんせ、よいよいよんやな、よい中同士のこいさかひなら、痴話と口舌は何でもかんでもこんやもせい〔合〕東雲の明の鐘、ごんと鳴るので中直りすんましたよいよいよんやな〔合〕そふよが締めかけ中綱
やあ、やんれ曳け曳け、よい声かけて、えんやらさ。やっと漕ぎ出す屋根船見れば、憎や簾が顔かくす。何でもこっちを向かしゃんせ。よいよい、よんやな。よい仲同士の諍いなら、痴話と口舌は何でもかんでも今夜もせい。東雲の明けの鐘、ごんと鳴るので仲直り、すんましたよ。よいよい、よんやな。そうよが締めかけ、中綱。
ゑんやゑんやこれはあれはさのへ、ゑんやらよう
えんや、えんや、これはあれはさのえ、えんやらよう。
実にも上なき獅子王の、万歳千秋限りなく、牡丹は家のものにして、御江戸の恵ぞありがたきありがたき
げにも上なき獅子王の、万歳千秋限りなく、牡丹は家のものにして、御江戸の恵みぞありがたき、ありがたき。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号はいずれも直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
本名題は『〆能色相図』(しめろやれいろのかけごえ。『締能色相図』とも書く)。三升屋二三治 述。作曲者・初演年は原典に記載がない。
神田明神の祭礼は山王祭とならぶ江戸の天下祭。「警護」「手古舞」「花車」は祭礼行列の役と山車。手古舞は男装の女が金棒を突いて山車を先導する役で、芸者が勤めた。
翻刻の底本では「毛氈」の「氈」の字が偏と旁の入れ替わった異体字で組まれている。ここでは通行の字に改め、そのことをここに記す。
「丸にいの字」「重ね扇に三升」は役者の紋を詠み込んだもの。三升は市川家の紋。「牡丹」「鐶菊」「裏菊」も紋の名で、結びの「牡丹は家のもの」まで続く。
「籠の鳥」「苦界」「初会」「見返り柳」は廓のことば。前半は吉原の格子先の場面である。
「木遣」は木や石を曳くときの掛け声唄で、鳶職の芸として祭礼や祝儀に唄われた。「やんれ曳け曳け」以下がそれにあたる。
語義・読みの定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「ちやは上総屋両助」「はな平太」(役者や幇間の名と見られるが確かめられない)、「せできて濡るゝか」「しどもなや」「うねめのきぬ」「そふよが締めかけ中綱」「これはあれはさのへ」(囃子詞)。「義理も糸瓜の革羽織」は「義理も糸瓜もない」の言い回しに革羽織を掛けた地口と見られる。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。