玉藻前たまものまえ
作詞者・作曲者・初演年不詳 本名題「狐振分後段景事」(きつねきつねごだんのけいごと)

那須野の殺生石の由来を綴る短い一曲。鳥羽院に寵愛された玉藻前が、恋の恨みのうちに金毛九尾の正体を現し、村雲を呼んで飛び去るまでを描く。
あらすじ
秋津国の東に那須野という広い野がある。三国にまたがるその名を石にとどめたのも、これこそ武勇の功績であった。四季折々の花の香に移ろう色は藤壺の藤の紫、梅壺の梅の香——それをわが身ひとつに集めて、玉藻を被くという名の玉藻の前がお渡りになる。だがその花よりも月よりも恋しいのは、あの人の閨の内。閨の扇のつれなさに恨みを寄せる立ち姿。武士の弓矢も神の守護するこの国よ、いまこそ現す我が姿——天竺は班足太子の塚の神、唐土では妲己となり、日の本へ渡り来た白面金毛九尾。その毛も逆立ち、怒りの眼は紅に燃え、黄菊白菊が乱れ咲くなか、我も乱れてここかしこ、狂う姿の恐ろしいことよ。もはや時が来た、さらばと言い捨てて、夕暮れ深い村雲に嵐を吹き添えて飛び去る有様——あやしく恐ろしい次第であった。
詞章と現代語訳
それ秋津国の東に、那須野といへる郊野あり、実にや三国に跨るる其の名を石にとどめしも、これぞ武勇のいさおしや
そもそも秋津国の東に、那須野という広い野がある。まことに三国にまたがるその名を石にとどめたのも、これこそ武勇の功であることよ。
四季折々の花の香に、うつろふ色は藤壺の、藤の紫梅壺の、梅の香も身ひとつに、かつぐ玉藻の前渡り
四季折々の花の香のなかで、移ろう色は藤壺の藤の紫、梅壺の梅の香——それをわが身ひとつに集めて、玉藻を被くという名の玉藻の前がお渡りになる。
その花よりも月よりも、恋しき人の閨の内、閨の扇のつれなさに、恨みよるべの立姿
その花よりも月よりも恋しいのは、あの人の閨の内。閨の扇のつれなさに、恨みを寄せるよるべなき立ち姿よ。
武士の弓矢も神の守護なす国、今ぞあらはす我が姿
武士の弓矢も神の守護するこの国よ。いまこそ現そう、我が姿を。
班足太子の塚の神異国の妲妃
天竺では班足太子の塚の神、唐土では妲己となり。
日の本へ渡り来りし白面の
この日の本へ渡り来たった白面の——。
金毛九尾の毛も逆立ち、怒の眼は紅や、黄菊白菊乱れ咲き、われも乱れて此処彼処、狂ふ姿ぞ恐ろしき
金毛九尾の毛も逆立ち、怒りの眼は紅に燃える。黄菊白菊が乱れ咲くなか、我も乱れてここかしこ——狂い舞うその姿の恐ろしいことよ。
早時来りさらばぞと、夕暮深き村雲の、嵐吹き沿ふ飛行の有様あやし恐ろし次第なり
もはや時が来た、さらばと言い捨てて、夕暮れ深い村雲に嵐を吹き添えて飛び去るその有様——あやしく恐ろしい次第であった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方〔合〕の指示は省いた。
殺生石の伝説による。鳥羽院に寵愛された玉藻前は、正体を金毛九尾の狐と見破られて那須野へ逃れ、三浦介・上総介に討たれた。その執心が石となって近づく生き物を殺したという。
「秋津国」は日本の古称。「三国」は天竺・唐土・日本をいう。
「班足太子」は天竺の悪王で、この狐が塚の神となって惑わせたと伝える。「妲己」は殷の紂王の妃で、同じ狐の化身とされる。
「藤壺」「梅壺」は内裏の殿舎の名。「かつぐ玉藻」は玉藻を頭に被くことで、玉藻前の名に掛ける。
「白面」は白面金毛九尾の狐。
本名題の読みは原典の記載による。作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。