狂乱情姿絵きやうらんなさけのすがたゑ
荻江節 作詞者・作曲者・初演年不詳

狂乱物。恥ずかしや、我が思いの偽るるやらと嘆き、定めなき憂き世を恨んで狂い巡る姿から起こす。「気違いよ」と笑う人こそ気違いよ、と正体なく見える有様を描き、寄る方もない捨て小舟に身を重ねる。中ほどは主さんの錦の風俗を慕い、山王祭の行列と赤坂奴の吊り髭を思い浮かべて、ひと踊り。後半は江戸の橋の名を寄せた口説きになり——中橋・大橋・柳橋・丸き橋——結びは「狂人走れば不狂人も走る」の諺を引いて、くるりくるりと狂い巡る姿をいたわしきと納める。『徳川文芸類聚』所収の荻江節正本による。
あらすじ
恥ずかしや、我が思いの偽るるやら。ああ、定めなき憂き世ぞと恨み託ちて、しどもなく狂い巡るぞ、儚けれ。「気違いよ」と笑う人こそ気違いよと、正体なくぞ見えにける。乱れ心や結ぼれて、解けぬ思いをいつかさて、誰と取り見げて、かわいとも問うてくれ、鐘の声。げに浅ましや。我は甲斐なき捨て小舟。寄る方もなき憂き身ぞと、泣いつ笑うつ。あれ、あれ、そこへ主さんの、錦彩るその風俗のいとしゅうてならぬ。こち寄らんせ。花も紅葉も月雪も、何にしょ。七つ起きして別れを惜しむ、いとし殿御と手を引き合うて行こ。明日は山王祭じゃ。台笠、竪傘、行列揃えて、赤坂奴の吊り髭、揉み髭。色いろに伊達を飾るや、ひと踊り。雨の降る夜も雪の夜も厭わで、通い詰めたる恋の橋。渡らば錦、中橋の、中や絶えなん。浮気はいやよ。川の淵瀬と人の気も変わる、心の大橋と。ほかへ靡かぬ柳橋。ほんに誓文、神かけて。二人が仲は丸き橋。うれしからうじゃないかいな。それ、それ。狂人走れば不狂人も走り、走り遊んだ。裏までござれ。足の冷たいに、草履こんこん、雪やこんこん。裾も小褄、ほらほら。あなたへ走り、こなたへ巡り、くるり、くるり。狂い巡るぞ、いたわしき。
詞章と現代語訳
はづかしやわれがおもひのいつはるゝやら〔ギン〕あゝさだめなきうきよぞとうらみかこちてしどもなくくるひめぐるぞ〔合〕はかなけれ〔合〕きちがひよほうさいよと〔合〕わらふひとこそきちがひよとしやうたいなくぞ見へに〔ヲトシ〕ける〔合〕さなきだにわがすがた〔ヲシヲトス〕みだれ心やむすぼれてとけぬおもひをいつかさて〔合〕たれととりみげてかわいともとふてくれはのかねのこへ〔合〕げにあさましや〔合〕
恥ずかしや。我が思いの偽るるやら。ああ、定めなき憂き世ぞと恨み、託ちて、しどもなく狂い巡るぞ、儚けれ。「気違いよ、ほうさいよ」と笑う人こそ気違いよと、正体なくぞ見えにける。さなきだに我が姿。乱れ心や結ぼれて、解けぬ思いを、いつかさて、誰と取り見げて、かわいとも問うてくれ——は、の鐘の声。げに浅ましや。
われはかひなきすてをぶねよるかたもなきうき身ぞとないつわらふつあれあれあれそれそれそこへぬしさんの〔合〕にしきいろどる〔合〕そのふうぞくのいとしゆてならぬこちよらんせなんぞいの〔合〕はなももみぢも月ゆきもなんにしよはいはいよわらをとまゝよ〔合〕七つおきして別れをおしむ〔合〕いとしとのごと手を引あふてゆこやれやれ〔合〕あすは山王まつりじや〔合〕だいがさたてがさぎやうれつそろへてあか坂やつこのつりひげ〔合〕もみひげ〔合〕すゝすすいたとりなりいろいろにだてをかざるや一おどりこれをきてみよかしのヘ
我は甲斐なき捨て小舟。寄る方もなき憂き身ぞと、泣いつ笑うつ。あれ、あれ、あれ、それ、それ、そこへ主さんの、錦彩る、その風俗のいとしゅうてならぬ。こち寄らんせ、なんぞいの。花も紅葉も月雪も、何にしょ、はいはい、よわらをと、ままよ。七つ起きして別れを惜しむ、いとし殿御と手を引き合うて行こ、やれ、やれ。明日は山王祭じゃ。台笠、竪傘、行列揃えて。赤坂奴の吊り髭、揉み髭。すす、すいた取りなり、色いろに伊達を飾るや、ひと踊り。これを着て見よかしの、へ。
あめのふる夜もゆきの夜もいとはで〔合〕かよひつめたる恋のはしわたらばにしき中橋の中やたえなんうわきはいやよ〔合〕さりとは〔合〕川のふちせと人の気もかわるこゝろの大はしと〔合〕ほかへなびかぬやなぎばしほんにせいもんかみかけて〔合〕さりとは〔合〕〔三ノギン〕ふたりが中はまるき橋うれしからふじやないかいなそんそれもまことによふいふた〔ヲトシ〕しやほんに
雨の降る夜も雪の夜も厭わで、通い詰めたる恋の橋。渡らば錦、中橋の、中や絶えなん。浮気はいやよ。さりとは、川の淵瀬と人の気も変わる、心の大橋と。ほかへ靡かぬ柳橋。ほんに誓文、神かけて。さりとは。二人が仲は丸き橋。うれしからうじゃないかいな。「そん、それも、まことによう言うた」。しゃ、ほんに。
それそれそれそれ〔二ヲロシ〕きやうじんはしればふきやうじんもはしりはしりあそんだ〔合〕うらまでござれあしのつめたいにざうりこんこんよゆきやこんこんすそもこづまほらほら〔合〕ほらほら〔合〕あなたへはしり〔合〕こなたへめぐりくるりくるりくるくるくるくる〔合〕くるひめぐるぞいたはしき
それ、それ、それ、それ。狂人走れば不狂人も走り、走り遊んだ。裏までござれ。足の冷たいに、草履こんこん、よ、雪やこんこん。裾も小褄、ほらほら、ほらほら。あなたへ走り、こなたへ巡り、くるり、くるり、くるくるくるくる。狂い巡るぞ、いたわしき。
この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『荻江節正本』の本文(著作権消滅)により、章句・合方の記号は原典のまま段の頭や途中に残し、繰り返し記号は読みやすく展開した。繰り返し記号はいずれも直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。原典は三段だが、一段目が長いので〔上〕のところで二つに分けた。
原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。
狂乱物。心を乱した人物を描く曲種の一つ。「しどもなく」は取り乱してしまりのないさま。
「さんわうまつり」は山王祭。江戸の日枝神社の祭で、赤坂の奴が出る。「だいがさ」「たてがさ」は行列の道具。
後半は江戸の橋の名を寄せる。中橋・大橋・柳橋。「まるき橋」は丸木橋に「二人の仲が丸くおさまる」を掛ける。
「きやうじんはしればふきやうじんもはしる」は諺で、一人が走り出すとわけも分からず皆が走り出すことのたとえ。
「ざうりこんこんよゆきやこんこん」は童唄の「雪やこんこ」による囃子。
語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「ほうさいよ」、「たれととりみげて」、「かわいともとふてくれはのかねのこへ」(「くれは(呉羽)」に鐘を掛けるかとも読めるが切り方が定めがたい)、「なんにしよはいはいよわらをと」、「すすすいたとりなり」、「これをきてみよかしのヘ」、「そんそれもまことによふいふた」。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。