浮名の立額うきなのたてがく
清元 作者・作曲者・初演年不詳

芸者小三と武家育ちの金五郎の話による一曲(原典の目次に括弧書きで「小三金五郎」とある)。朝顔の露の命にたとえて起こし、三年焦がれてようやく結ばれた金五郎へ、小三は義理詰めで心にもない縁切りの文を書く。額に疵をつけられた恨みと思い詰めた金五郎は、夏の夜、風鈴の音のなかを寝刃を合わせて訪ね、書き置きを抱いて忍び出る小三に斬りかかる。小三は、鯉魚の置物を金五郎に渡すため、また金五郎の兄に退けと諭されたための愛想づかしだったと明かし、三年前の船のうちの情けから彫り物をし、額堂に男断ちの絵馬を掛けて「額の小三」と呼ばれたことまで口説く。置物も贋物と知れて死を覚悟した金五郎と小三は、死なば諸共と誓い、結びは「清元連の一節と後の稽古に残るらん」。刃傷と心中の覚悟を含む曲なので、席によっては扱いに心を配りたい。
あらすじ
朝顔が明日の盛りも待たずに散るように、露の命としぼむ身。三年焦がれてようやく逢えた金五郎へ、小三は言うに言われぬ義理詰めで心にもない縁切りの文を書いた。それでもただひと目逢って死にたいと泣く小三。一方、夏の夜、風鈴の音にも胸を騒がせる金五郎は、心の錆を寝刃に合わせ、男の額に疵をつけられたと思い詰めて小三を訪ねる。書き置きを見つけられまいと箱梯子を忍び降りる小三を見つけて、金五郎は斬りつけ、逃げまどうのを追い回す。小三は、鯉魚の置物をあなたに渡すため、またお国の兄さまにひそかに呼ばれて身を退けと諭されたための愛想づかしだと明かす。金五郎は、それは勘蔵のこしらえごとで、置物が贋物では生きてはいられぬ、そなたは生きて弔ってくれと言う。小三はそれを胴欲と恨み、三年前の船のうちの情けから、あなたの名を彫り物にし、額堂に男断ちの絵馬を掛けて「額の小三」と呼ばれ、男嫌いの野暮芸者と笑われるのが嬉しかったと口説く。その心根を聞いた金五郎は、死なば諸共、二世三世と誓う。色の変わらぬ恋仲を書き綴ったこの一節も、清元連の稽古に残ることだろう。
詞章と現代語訳
『朝顔の莟の内や宵の間の、翌の盛も待たで散る〔合〕露の命と萎む身は〔合〕
朝顔の蕾のうちか、宵の間に、明日の盛りも待たずに散る。露の命としぼむこの身は——
三年焦れてやうやうと、逢ふて嬉しき心の誠、かき置く筆の命毛も〔合〕きれてちぎれて切文に、あの空ごとを嘸や嘸、道知ずとも思うはんしよが、言に言れぬ義理詰に
三年焦がれてようやく逢えた嬉しい心の誠。書き置く筆の命毛も切れてちぎれて縁切りの文に。あの空ごとを、さぞや道理も知らぬ女とお思いだろうが、言うに言われぬ義理詰めで——
思ひきつても唯一目、逢ふて死たい会ひたいわいなア
思い切っても、ただひと目逢って死にたい、逢いたいわいなあ。
便りもがなとそよと吹く、風が誘ふて風鈴の〔合〕音さへ胸もあとや先〔合〕若しやは憎き仇人が〔合〕今にぞ思ひしらはさへ、心の錆をはや寐刃、濁らぬ水に月の影、空は晴ても晴やらぬ、恋路の闇に迷ふ身の
便りでもあればと、そよと吹く風に誘われて鳴る風鈴の音にさえ胸は乱れる。もしや憎い仇人が——今にぞ思い知らせんと白刃さえ。心の錆を早くも寝刃に合わせ、濁らぬ水に月の影、空は晴れても晴れきらない恋路の闇に迷う身の——
此方は筆のたてどさへ、涙と供に〔合〕繰言の参らせ候の薄墨は〔合〕
こちらは筆の立て所さえ涙とともに、繰り言の「参らせ候」の薄墨は、
未来の縁を結び置く、文の封に主様へ、女房小三と嬉しげに、書が此の世の筆のとめ
来世の縁を結んでおく文。封には「主さまへ、女房小三」と嬉しげに書くのが、この世の筆の止め。
男の額へよくも疵まで
男の額によくも疵までつけたな。
昨日にかはる飛鳥川、夢の浮世の夢とのみ
昨日の淵は今日の瀬と変わる飛鳥川、夢の浮世の夢とばかり、
思ふて見ても忘られぬ、恋といふ字が恨にて、愚痴と思へどつきつめし、男心も武家育
思ってみても忘れられない。恋という字が恨めしく、愚痴とは思うが思い詰めた男心も、武家育ちゆえ。
二階に小三が書置を、見つけられじと〔合〕抜足し、屠所の歩みのはこ梯子〔合〕
二階で小三は書き置きを見つけられまいと、抜き足で、屠所の羊の歩みのように箱梯子を降りる。
此方は血気の金五郎、ひかげにそれと屹と見て
こちらは血気にはやる金五郎、物陰からそれときっと見て、
ヤア小三だな
やあ、小三だな。
金五郎さんか
金五郎さんか。
思ひ知やと切付れば、其の言訳はと逃まどふ、逃さじものと追廻す、短き夜半に撞く鐘も、是ぞあの世の迎ひ鐘、乱るゝ心乱れ焼、きるに切られぬ輪廻の絆、愛着つもつて哀れなり
思い知れと斬りつければ、そのわけはと逃げまどう。逃がすまいと追い回す。短い夏の夜半に撞く鐘も、これこそあの世の迎え鐘。乱れる心は乱れ焼きの刃、切るに切られぬ輪廻の絆、愛着が積もって哀れである。
まあまあ待て下さんせ、最善手詰の鯉魚の置物、お前に渡さん為ばかり、心にもない此の切文、ことにお国のお前の兄様、私を窃にお召なされ、だんだんとの御教訓、退かねばならぬ仕義となり、
まあまあ待ってくださいませ。さきほど手に入れた鯉魚の置物を、あなたに渡そうためだけに書いた、心にもないこの縁切りの文。ことに、お国のあなたの兄さまが、わたしをひそかにお呼びになって、いろいろとご教訓。身を退かねばならない仕儀となり、
愛想づかしを言ふたのも、推量して下さんせいなア
愛想づかしを言ったのも、推し量ってくださいませいなあ。
そりや勘蔵が拵へ事、さうとは知らいで今の仕義、して又兄の丹三殿、そなたにあつかう義理詰も、此の置物が贋物では、所詮生ては居られぬ身、
それは勘蔵のこしらえごと。そうとは知らずに今の仕儀。そのうえ兄の丹三殿が、そなたに義理を詰めて頼んだのも、この置物が贋物では、どのみち生きてはいられない身。
そなたは跡に長らへて、我が亡きあとをとうて呉れ、是小三頼んだぞよ
そなたはあとに生きながらえて、わたしの亡きあとを弔ってくれ。これ小三、頼んだぞよ。
あとゝふて呉れ頼むとは、そりや胴欲な金五郎さん
あとを弔ってくれと頼むとは、それはむごい、金五郎さん。
愛想づかしの数々を、言ふて別れし私故、恨がなうて何とせう、無理とは更に思はねど、めぐり逢ふたは昨日今日、まだ肩揚の三年あと、
愛想づかしの数々を言って別れたわたしゆえ、恨まれないはずがありましょうか。無理とは少しも思わないけれど、めぐり逢ったのは昨日今日のことではない。まだ肩上げのとれない三年前、
船のうちなるお情を、忘るゝ暇もなまなかに、ませたやうでも何処やらに、稚心のあともなう、お顔も知らで立別れ、床しい故にこれ此処に
船のうちでいただいたお情けを、忘れる暇もなまじっかに、ませたようでもどこやら幼な心で、お顔もよく知らずに別れたのが慕わしく、これ、ここに——
誰とふしみと恥かしい、此の文身をお前ぞと、思ひ暮して朝夕に、二人添ふ気で他処外の〔合〕
誰と伏し見と恥ずかしい、この彫り物をあなたと思って暮らし、朝夕に二人添うつもりで、よそのほかの、
なんの殿御を待つものと、胸の誓は額堂の〔合〕
どんな殿御を待つものかと、胸の誓いは額堂の——
男の文字に錠前を、しやんとをろした大願に、額の小三と人さんが、言はしやんすのを幸ひに、男ぎらいな野暮芸者、ひねり物ぢやと客人が、笑はるゝのが嬉しうて
「男」の文字に錠前をしゃんと下ろした絵馬の大願。「額の小三」と人さまが言うのを幸いに、男嫌いな野暮な芸者、ひねくれ者だとお客が笑うのが嬉しくて——
色気のないもお前故
色気のないのも、あなたゆえ。
ことにお国の兄御様、わけての頼是非もなう、心になうて口さきで憎まれたさの縁切も
ことにお国の兄御さまの、とりわけてのお頼みで仕方なく、心にもなく口先だけで、憎まれようとしての縁切りも、
義理にしがらむ
義理にからめとられた
術なさを、思ひやつてとばかりにて、口説涙ぞ道理なり
せつなさを思いやって、とばかり言って、かき口説く涙はもっともである。
其の心根を聞くからは、たとえ何処へゆくとても、夫婦と言へばあの世まで、何の見捨う離れはせじ、死なば諸共二世三世、変りはせじと力草
その心根を聞いたからには、たとえどこへ行こうとも、夫婦といえばあの世まで。何で見捨てよう、離れはすまい。死なば諸共、二世も三世も変わりはすまいと、互いを力草にして。
言替したる夏菊と、ぬれ紫の杜若、色は変らぬ恋中を、書綴たる反古よせも、清元連の一節と後の稽古に残るらん
言い交わした夏菊と、濡れた紫の杜若。色の変わらぬ恋仲を書き綴った反古寄せも、清元連の一節として、後の稽古に残ることであろう。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
原典の目次に括弧書きで「小三金五郎」とある。作者の記載は原典にない。題の「立額」は、小三が額堂に掛けた男断ちの絵馬(「額の小三」)と、金五郎の「男の額へよくも疵まで」を掛けたものと見た。
原典の長い行は、読みやすさのため読点の切れ目で段に分けた(字句は同じ)。「まあ/\待て下さんせ」「そりや勘蔵が」「愛想づかしの数々を」の各行を、それぞれ二段にした。
台詞の話し手は原典に記されていない。呼びかけと受け答えから、小三と金五郎の詞を見分けて訳した。七段目の「男の額へよくも疵まで」は金五郎の詞と見た。
人名「勘蔵」「丹三」は読みが確かめられないので、ふりがなを付けていない。「鯉魚の置物」は家の宝の名と見られるが、どの狂言によるかは確かめられない。
結びの「清元連の一節と後の稽古に残るらん」は、曲中で清元の名を出して、この曲そのものが稽古に残ると結ぶ。
当ライブラリの清元「由縁の暦歌」も、宝を取り返すための心にもない縁切りの文(愛想づかし)と、刃傷・心中の覚悟という似た筋立てで、「恋路の闇に迷ふ身の」という句も両曲に出る。
語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「思うはんしよが」、「今にぞ思ひしらはさへ」(白刃を掛けたと見た)、「最善手詰」(最前、手を尽くして手に入れたの意と見た)、「あつかう義理詰」、「誰とふしみと」(伏し見を掛けたと見た)、「力草」、「反古よせ」。
繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(やう/\、まあ/\、だん/\)。
原典の用字「思うはんしよ」「最善」「供に」「男ぎらい」「たとえ」はそのまま残した。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。