藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

月友桂川浪つきのともかつらのかわなみ

清元  本文の題名『〔おはん/長右衛門〕月友桂川浪』 別題『お半長右衛門』(原典の目次の括弧書きによる)  故人 柳井隣 述・三枡屋二三治 増補(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

月友桂川浪 東雲の桂川と岸の露草
東雲の桂川と岸の露草

帯屋の長右衛門が、年若い信濃屋のお半を背に負うて、京の町から桂川へ向かう心中の道行。御池通り・柳馬場・押小路・堀川・壬生村・長福寺・梅津の小橋と、京の町名を織り込んで西へたどる。背から下ろされたお半は、幼いころの手習いから、伊勢参りの戻りに石部の宿で相宿した夜までを口説き、鈴鹿の馬子唄が挟まる。長右衛門は、大恩ある主筋の若旦那を手にかけた身ゆえ、お半だけは帰れと言うが、お半は身ごもったまま生きながらえよとはむごいと離れない。追っ手の声、東雲の空、「お半やい、娘やい」と呼ぶ声のなか、二人は月の桂川を川上へと急ぐ。仮名書きの多い『柏葉集』の本文に漢字を当てた。心中の道行を描く曲なので、席によっては扱いに心を配りたい。

あらすじ

月の桂の名を持つ桂川に浮名を流そうと、帯屋の長右衛門は信濃屋のお半を背に負う。御池通り、柳馬場を横に見て、名残惜しい押小路、女房にも別れかねて鐘の音も涙に曇り、雨の降るなか堀川を過ぎる。背から下ろせば、お半はまだ振袖の娘、後れ髪も乱れる。壬生村を西へ、長福寺に後の世を願い、梅津の小橋を渡れば水は涸れ、河鹿も鳴き尽くしている。お半は、小さいときから抱かれて手習いのお手本を書いてもらったこと、伊勢参りの戻りに石部の宿で相宿した夜のことを口説く。鈴鹿の馬子唄が聞こえる。長右衛門は、大恩ある幸之進様の若旦那を手にかけたからには生きてはいられない、そなたは帰れと言う。お半は、年端もゆかぬ身にややを産んで生きながらえよとはむごい、いっしょに殺してと取りすがる。長右衛門もともに沈む覚悟を決める。追っ手の声、東雲の空、石を袂に。「お半やい、娘やい」と呼ぶ声に、二人は乱れる足で月の桂川を川上へ急いで行く。

詞章と現代語訳

月つきの桂かつらの川水かはみづに、浮名うきなを流ながす泡沫うたかたの、あはと命いのちを信濃屋しなのやの、お半はんを背せなに長右衛門ちやうゑもん

月の桂の名を持つ桂川の川水に、浮名を流す泡沫——あわれ泡と消える命を惜しむ信濃屋のお半を、背に負うて長右衛門。

お池いけ通どふりも影かげ凄すごき〔合〕柳やなぎの馬場ばゝを横よこに見みて、急いそげば名残なごり押おし小路こうぢ

御池通りも影ものすごく、柳馬場を横に見て、急げば名残惜しい押小路。

妻つまにも別わかれかねの音ねも、涙なみだ含ふくみて雨あめぞ降ふる、堀川ほりかは過すぎてやうやうと

女房にも別れかねる思い、鐘の音も涙を含んで、雨が降る。堀川を過ぎて、ようやくのことで——

背せなを下おろせばとりなりも、まだ振袖ふりそでのほらほらと、後あとや先さきなる後おくれ髪がみ

背から下ろせば、身なりもまだ振袖がほらほらと揺れ、後ろや前に乱れかかる後れ髪。

櫛笥くしげはそこよ、壬生みぶ村むらを西にしへ向むかへば長福寺ちやうふくじ、後のちの世よ照てらし給たまはれと、願ねがひをかけて闇やみを行ゆく

櫛笥(くしげ)はそこよ。壬生村を西へ向かえば長福寺。後の世を照らしてくださいと、願いをかけて闇を行く。

梅津うめづの小橋こばし渡わたれども、縁ゑんの浅瀬あさせか水みづ涸かれて、河鹿かじかも今いまは鳴なきつくし、男心をとこごゝろを託かこつにぞ

梅津の小橋を渡っても、縁が浅いのか浅瀬の水は涸れて、河鹿も今は鳴き尽くした。男心を嘆くにつけて——

ほんに思おもへば昨日きのふ今日けふ、少ちひさい時ときからお前まへに抱だかれ、手習てならひせいと言いはしやんして、お手本てほん書かいて貰もらふたる

「ほんに思えば、つい昨日今日のよう。小さいときからあなたに抱かれ、手習いをせよとおっしゃって、お手本を書いてもらった——

色いろのいろはの御師匠おししやうさん、それから思おもひ染浴衣そめゆかた〔合〕

色のいろはのお師匠さん。それから思い初め、染浴衣——

伊勢いせの戻もどりに合宿あひやどの、石部いしべとやらの木枕きまくらが、堅かたいお前まへと〔合〕新枕にひまくら

伊勢参りの戻りに相宿した、石部とやらの宿の木枕が堅いように、堅いあなたと新枕。

添寝そひねの夢ゆめを覚さませとや、その馬子節まごぶしに起おこされて

添い寝の夢を覚ませというのか、あの馬子唄に起こされて——

〔二上り〕

かさは照てる照てる、ヤレもみのひも〔合〕恋こひを鈴鹿すゞかに〔合〕袖そで曇くもる、ナアエヽ、雨あめの土つち山やまナアエ、濡ぬれて寝ぬるよで、ナアエヽ

〽かさは照る照る、やれ、もみの紐。恋を鈴鹿に、袖が曇る、なあええ。雨の土山、なあえ、濡れて寝る夜で、なあええ。

心こゝろの丈たけを結むすぼれて、胸むねも今いまさらくもらなり

心のたけも結ぼれて、胸も今さら曇るばかり」

〔長右衛門〕

コレお半はん、道々みちみちも言いふ通とふり、此この長右衛門ちやうゑもんは、大恩だいおんある幸之進様の若旦那わかだんな、幸左衛門様を手てにかけたれば

これお半、道々も言ったとおり、この長右衛門は、大恩ある幸之進様の若旦那、幸左衛門様を手にかけたからには、

所詮しよせん生いきては居ゐられぬ此この身み、そなたはこゝから早はやふ帰かへつてたも

どうせ生きてはいられぬこの身。そなたはここから早く帰ってくれ。

聞きいてお半はんはさしうつむいて、なんにも言いはず振袖ふりそでの

聞いてお半はさしうつむいて、何も言わずに振袖の——

袂たもと翳かざして顔かほ覗のぞき、これいな長右衛門ちやうゑもん、年としもゆかいでやゝ産うんで

袂をかざして顔をのぞき、「これいな長右衛門さん、年端もゆかぬのに、ややを産んで——

長ながらへいよとは、そりや胴欲どふよくな、わたしや死しんでもお前まへより、愛いとしいものがあろかいな

生きながらえよとは、それはむごいこと。わたしは死んでも、あなたよりいとしいものがありましょうか。

惚ほれたが因果いんぐわ、堪忍かんにんして、一緒いつしよに殺ころして下くださんせと、露つゆの命いのちを籬垣ませがきの、消きえも入いりたき風情ふぜいなり

惚れたが因果、堪忍して、いっしょに殺してくださいませ」と、籬に置く露のような命の、消え入りたげな風情である。

お半はんが嘆なげきいぢらしく、流石さすが男をとこも胸むね迫せまり、其その心根こゝろねの不憫ふびんさに、涙なみだの淵ふちに底そこいなく、共ともに沈しづまん覚悟かくごぞと、涙なみだに涙なみだ添そへにける

お半の嘆きがいじらしく、さすがの男も胸がせまり、その心根のふびんさに、底知れぬ涙の淵に、ともに沈もうと覚悟を決めて、涙に涙を添えるのだった。

〔長右衛門〕

アレアレ、あの人声ひとごゑは確たしかに追手おつて、お半はん、覚悟かくごはよいか

あれあれ、あの人声はたしかに追っ手。お半、覚悟はよいか。

向むかふに見みゆる人影かげは、若もし追手おつてかと心こゝろ急せき、いざと手てに手てをとりの声こゑ、早はや東雲しのゝめの空そらの色いろ

向こうに見える人影は、もしや追っ手かと心がせく。いざと手に手を取って——鶏の声、はや東雲の空の色。

石いしを袂たもとに、糸いとと針はり、繻子しゆすの帯屋おびやと信濃屋しなのやの

石を袂に入れ、糸と針——繻子の帯の帯屋と、信濃屋の——

お半はんやい、娘むすめやい

「お半やあい、娘やあい」

娘むすめ娘むすめと呼よぶ声こゑに、見付みつけられじと足元あしもとも、乱みだるゝ月つきの桂川かつらがは、水上みなかみへと急いそぎ行ゆく

娘、娘と呼ぶ声に、見つけられまいと、足もとも乱れる、月の桂川を、川上へと急いで行く。

この曲は詞章の出典が他の清元と異なる。国書刊行会『徳川文芸類聚』第九 俗曲上所収『柏葉集』の本文(著作権消滅)による。目次の題名は『月友桂川浪(お半長右衛門)』、本文の題名は『〔おはん/長右衛門〕月友桂川浪』。原典に「故人 柳井隣述」「増補 三枡屋二三治」とある。

原典は仮名書きが多いので、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。原典が漢字で書いている字はそのまま残した。原典の長い行は、読みやすさのため句読点や合方の切れ目で段に分けた(字句は同じ)。

二段目の頭にある〔半四郎/三津五郎出〕は二人の役者の出を示す注記なので、本文には入れなかった。台詞の話し手は、原典では役者の名で〔三津五郎〕〔三津〕と記されているので、内容から〔長右衛門〕に置き換えた。七〜十二段目と十六〜十八段目はお半の詞と見て訳した。二十三段目の「お半やい、娘やい」は、お半を捜して呼ぶ追っ手の声と見た。

清元『お半』(本名題『道行思案余』)と同じお半長右衛門の心中の道行で、こちらは京の町から桂川へ向かう。『お半』は一段目で「桂にあらぬ綾瀬川」と断って江戸に移している。七段目の「ほんに思へば昨日今日」は『お半』四段目と同じ句で起こし、お半が幼いころから長右衛門に習い事を教わった思い出、旅の相宿(こちらは伊勢の戻りの石部、『お半』は江の島の「石部屋」)、「堅いお前」の言い回し、道中の唄が挟まる運びも重なる。

二〜六段目は京の町名・地名を織り込む。「お池どふり」は御池通、「柳のばゝ」は柳馬場、「名残おし小路」は押小路に「名残惜し」を掛け、「わかれかねのね」は「別れかね」と「鐘の音」を掛ける。「くしげはそこよ」は後れ髪から櫛笥(櫛の箱)を言い出し、櫛笥小路を掛けると見た。長福寺・梅津は桂川の東岸、梅津のあたり。

一段目の「あはと命を信濃屋の」は、泡と消える命を「惜しむ」に信濃屋を続けると見たが、掛詞の細部は断じきれない。二十一段目の「とりのこゑ」は「手に手を取り」と「鶏の声」を掛けると見て、仮名のまま残した。二十二段目の「繻子の帯屋」は長右衛門の店の帯屋を繻子の帯で言い出す。

十段目の「まごぶし」は、続く二上りの唄が鈴鹿の馬子唄「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」を踏むので、馬子節(馬子唄)と見て漢字を当てた。唄の頭の「かさは照る照る」(坂か笠か)、「もみのひも」(紅絹の紐か)は断じきれないので、仮名のまま残した。

十三段目の人名「幸之進」「幸左衛門」は読みが確かめられないので、ふりがなを付けていない。長右衛門が大恩ある主筋の若旦那を手にかけた、という筋は原典の詞による。

繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(やう/\、ほら/\、アレ/\)。

原典の用字「少さい」(小さいの意)、「通り」を「とふり」「どふり」と書く仮名遣い、「早ふ」はそのまま残した。

語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「とりなり」(身なり・取りなりの意と見た)、「くもらなり」、「糸と針」(入水の支度か)。六段目の「ゑんのあさせか水かれて」は、縁の浅さを浅瀬の涸れた水に掛けると見て漢字を当てた。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。