時鳥霽間の雲色ほととぎすはれまのくもいろ
清元 作者・作曲者・初演年不詳

白井権八と三浦屋の小紫の話による一曲(原典の目次に括弧書きで「小紫権八」とある)。当ライブラリの清元「権上」「権下」と同じ二人を描く別の曲。いつか二人が葬られる墓の石と比翼の紋を思わせる起こしから、俄か雨の夜、幡随院長兵衛の情けで落ちのびる権八のもとへ、廓を抜けた小紫が追いつく。権八はそなたは生きよと言い、小紫は捨てて行くとは胴欲なとすねて、投節や廓言葉、揚屋町・角町・仲の町・江戸町・京町と吉原の町名を連ねる言葉遊びで思い出を語る。捕り手を払い、最期の場所へ急ぐ二人の前に小提灯が現れ、斬りかかった権八に「高飛びしやれ」と声をかける。結びは「意気地は江戸の花川戸」で、花川戸の男伊達長兵衛の名を残す。死を覚悟する道行を含む曲なので、席によっては扱いに心を配りたい。
あらすじ
夢の浮世と思えばこそ、いつか二人の墓の石に手向ける水も、比翼の紋に二世をかけて——と起こし、古木を濡らす俄か雨の夜。長兵衛の情けでここまで落ちのびた権八のもとへ、あとを慕って廓を駆け落ちした小紫が追いつき、二人は顔を見合わせて涙する。権八は、自分はどうせ死なねばならぬ身、そなたは生きて亡きあとを弔えと言う。小紫は、なぜ打ち明けて相談してくれなかったのか、苦界の身でもそんな水くさい心ではない、初めて逢ったときから出雲の神の結んだ縁と意地を通してきたのに、わたしまで捨てて行くとは胴欲なとすねて、胸ぐらにすがる。投節や廓言葉の戯れ、吉原の町名を連ねた言葉遊びで二人の仲を語り、捕り手が掛かるのを権八は手練で払いのける。また妨げが入らぬうちに最期の場所へと急ぐ二人の前に、小提灯が現れて「確かに権八小紫」と言う。権八が斬りかかると、提灯の主は身をかわして「高飛びしやれ」「早まるな」と声をかける。その意気地は江戸の花川戸、今にその名が残ることだろう。
詞章と現代語訳
夢の浮世と思へばや、いつか二人が亡き跡の、標の石に手向の水も、丸に井桁を二世かけて、重ね桔梗の紋所、比翼と契る妹背鳥、古木に濡るゝ俄雨
夢の浮世と思うからか。いつか二人が亡くなったあとの墓の石に手向ける水も、丸に井桁の紋に二世をかけて、重ね桔梗の紋所。比翼と契る妹背鳥が、古木に濡れる俄か雨。
ヤア権八さん
やあ、権八さん。
小紫か
小紫か。
顔見合せて目は涙
顔を見合わせて、目には涙。
長兵衛が情にて、これ迄は落たれど、そなたは何うして爰へは此の姿
長兵衛の情けで、ここまでは落ちのびたが、そなたはどうしてここへ、この姿で。
サアお前の跡を慕ふて、廓を駆落ちしてやうやうと、此処で逢ふたも尽きせぬ縁
さあ、あなたのあとを慕って、廓を駆け落ちしてようやく、ここで逢えたのも尽きない縁。
此の権八は連も死なねばならぬ身の上、そなたは長らへ我が亡きあとを頼むは小紫
この権八はどうせ死なねばならない身の上。そなたは生きながらえて、わたしの亡きあとを頼むぞ、小紫。
アレあの様に行先を、ふさがる胸を打あけて、何故に斯うした事ならば
あれ、あのように行く先をふさがれた胸の内を打ち明けて——どうして、こうしたことなら、
言ふて聞かせて倶々に、問談合も御座んせう、苦界の身とて水臭い、そんな心ぢやないわいな
言って聞かせて、ともどもに相談もしましょうものを。苦界の身だからといって、水くさい、そんな心ではありませんわいな。
主は覚えて居さんすか、始めて逢ふたその時に、いとし嬉しさ身にしみじみと
あなたは覚えていなさるか。初めて逢ったそのときに、いとしさ、嬉しさが身にしみじみと、
粹な夜かぜは神かぜが、若しや出雲で結ばれた、縁ぢやあろとこつちから、無理な意気地を立通し
粋な夜風は神風か、もしや出雲の神さまに結ばれた縁であろうと、こちらから無理な意地を立て通して、
また其の上に私まで、捨てゝ行くとは胴欲な
その上、わたしまで捨てて行くとは、むごいこと。
如何に戸ざゝぬ御代ぢやとて、そりやあんまりな情なしと、ぴんと強ねるも恋の癖〔合〕
いくら戸を閉ざさない泰平の御代だからといって、それはあんまりな情けなし——と、ぴんとすねるのも恋の癖。
わざと見ぬふり行過る、その手をしつかと胸づくし、取る手をかへして右左、はづみを打つて〔合〕投節に
わざと見ないふりで行き過ぎる、その手をしっかと胸ぐらに。取る手を返して右左、はずみを打って投節に、
死なざ止むまい悪性を〔合〕駿河の富士のお山さん
〽死ななきゃ止むまい悪性を——駿河の富士のお山さん。
今宵はしつぽり色客を、お迎へなされと立上る〔合〕
今宵はしっぽり色客をお迎えなされ、と立ち上がる。
ざんすありんす拝みんす、オヤなんざんす〔合〕馬鹿らしいぢやないかいな
ざんす、ありんす、拝みんす。おや、なんざんす。馬鹿らしいじゃないかいな。
丸に井筒の恋中を、した行く水を〔合〕汲みかはす、お前が汲んで〔合〕揚屋町、互の胸も〔合〕角町を、人目しのぶの篠芒、萱にも心おくの間の、首尾つくらいふて吾亦紅〔合〕
丸に井筒の恋仲を、下ゆく水を汲み交わす。あなたが汲んで揚げる揚屋町、互いの胸も隅々まで角町。人目を忍ぶ篠芒、萱にも心を置く奥の間で、首尾をつくろうて吾亦紅——
しつぽりぬれた仲の町、肌と肌とを引しめて
しっぽり濡れた仲の町、肌と肌とを引き締めて、
残す浮名を江戸町や、京町までも口の端に、かゝる取手を手練の働き
残す浮名は江戸町や京町までも人の口の端に。かかる捕り手を、手練の働きで払いのける。
復も障害のなきうちに、いざと二人は甲斐甲斐しく、最後の場所は道かへて、夜明ぬ程にと行く向ふへ、ほのかに照す小提灯
また妨げの入らないうちにと、いざ二人はかいがいしく、最期の場所へは道を変えて、夜の明けないうちにと行く向こうへ、ほのかに照らす小提灯。
ヤアたしか二人は権八小紫、と言ふを無闇に斬りかけるを、早足の提灯身をかはし
「やあ、確かに二人は権八、小紫」と言うのを、むやみに斬りかけると、足の早い提灯の主は身をかわし、
コリヤ高飛しやれ
「こりゃ、遠くへ逃げのびなされ」。
聊爾あるなとおふとりの、意気地は江戸の花川戸、今に其の名や残るらん残るらん
「早まるな」と鷹揚に構えた意気地は、江戸の花川戸の男伊達。今にその名が残ることであろう、残ることであろう。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
原典の目次に括弧書きで「小紫権八」とある。作者の記載は原典にない。当ライブラリの清元「権上」「権下」(『其小唄夢廓』)と同じ白井権八と小紫の話だが、詞章は別。
「丸に井桁」「重ね桔梗」は紋所の名で、二人の紋を比翼に重ねたと見た。「標の石」は墓石。目黒の比翼塚を思わせる起こし。
「長兵衛」は、権八をかくまったと伝えられる町奴の幡随院長兵衛。「花川戸」は長兵衛の住んだ浅草花川戸で、結びはその男伊達をたたえる。終わりの提灯の主が長兵衛本人か、その手の者かは詞章からは確かめられない。
「揚屋町」「角町」「仲の町」「江戸町」「京町」は吉原の町名で、恋の言葉に読み込む。「ざんすありんす拝みんす」は廓言葉。「投節」は江戸前期にはやった小唄の名。
台詞の話し手は原典に記されていない。呼びかけと受け答えから、権八・小紫と提灯の主の詞を見分けて訳した。
「如何に戸ざゝぬ御代ぢやとて」「情なし」は、当ライブラリの清元「袖浦誓中偕」にもほとんど同じ形で出る。
語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「妹背鳥」、「首尾つくらいふて」、「早足の提灯」(足の早い提灯持ちと見て訳した)、「おふとりの」(鷹揚に構えたの意と見て訳した)。
繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(身にしみ/゛\→身にしみじみ、やう/\、甲斐/\しく、残るらん/\)。
原典の用字「連も」(とても)「強ねる」「胸づくし」「障害」はそのまま残した。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。