藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

時雨西行しぐれさいぎょう

西行物  能「江口」に取材

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時雨西行 江口の雨宿り
江口の雨宿り

諸国行脚の西行法師が、長月の時雨に江口の里で一夜の宿を乞う。遊女に断られての問答から、遊女は普賢菩薩の姿を現して消える。

あらすじ

行方も定めぬ雲水の身の西行法師が、歌の修行にめぐる旅路も長月、折しも時雨のころ。都を跡に淀の川船で下り、鵜殿の芦、松の煙、波寄せる江口の里に着く。妻子を捨てた身でありながら迷いを断ち切れず、時雨をしのぎかねて賤の軒端に一夜の宿を乞うと、遊女はつれなく断る。「世の中を厭ふまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな」と歌を詠みかければ、「なう、しばし」と呼び留めて「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心留むなと思ふばかり」と返す。一樹の蔭、一河の流れの縁と宿を許され、遊女は身の上を問われて語りだす——平太宗清の九代の後裔、佐藤兵衛尉憲清として鳥羽の帝の北面に仕えたが、飛花落葉の世を観じて弓矢を捨て、墨染に身を染めた次第を。二上りでは川竹の浮き沈みの身を、花・紅葉・月・雪の四季に重ねて嘆く。愛執の迷いに涙するその姿を、これは凡人ではあるまいと眼を閉じて見れば、遊女はたちまち普賢菩薩と現れ、六牙の白象に乗って虚空を摩し、光明四方に輝いて消える。西行が生身の普賢を拝んだという、江口の里の雨宿りである。

詞章と現代語訳

〔ウタイ〕

行ゆく衛ゑさだめぬ雲水うんすいの、諸共もろともによし雨あめに行ゆく

行方も定めぬ雲水の身。ともに、よし——この雨のなかを行こう。

〔本調子〕

西行法師さいぎやうほふし、師しを家いへを出いでて一祈いつり不住ふぢゆうの桜さくら、法のりの身みも吉野よしのの花はなや更科さらしなの月つきも、心こころ一ひとツ文字もじの歌うた修行しゆぎやうめぐる旅路たびぢも長月ながつきの時ときも折をりしも時雨しぐれ

西行法師は、師のもとを、家を出て——ひとえに祈る不住の桜。法の身にも吉野の花や更科の月は捨てがたく、心ひとつに歌の修行としてめぐる旅路である。折しも長月、時雨の季節。

都みやこを跡あと小を時とき、淀よどの川船かはぶね行末ゆくすゑを、鵜殿うどのの芦あしのほのぼのと、松まつの煙けぶりの波なみ寄よする江口えぐちの里さとの

都を跡にした折、淀の川船で行く末を——鵜殿の芦がほのぼのと見え、松の煙、波の寄せる江口の里の。

妻子さいしを捨すてし迷まよひの色いろを捨すてかね時雨しぐれの宿やどを忍しのびかね、賤しづの軒端のきばに立寄たちよりて一ひとト夜よの宿やどりをこひければ、あはれと言いへど遊女ゆふぢよが情なさけなきさの断ことわり

妻子を捨てた身でありながら、迷いの色は捨てきれず、時雨の宿を忍びかねて、賤しい家の軒端に立ち寄って一夜の宿りを乞うたところ——「おいたわしい」とは言うものの、遊女のつれない断りであった。

小舟をぶね漂ただよふ捨小舟すてをぶね何処どこへ取とり付つく島しまもなく、世よの中なかを厭いとふまでこそかたからめ、仮かりの宿やどりを惜をしむ君きみかな

小舟の漂う捨て小舟、どこへも取りつく島がない。——「世の中を厭い離れることまでは難しかろうが、仮の宿りを惜しまれるとは」と、歌を詠みかける。

〔なう〕

口くちずさみて行ゆきさぐるを、なう暫しばしと呼よび留とどめ、世よを厭いとふ人ひととし聞きけば仮かりの宿やどりに心こころ留とどむなと思おもふばかり

そう口ずさんで立ち去ろうとするのを、「なう、しばし」と呼び留めて——「世を厭う人と聞けばこそ、仮の宿りに心を留めなさるなと思うばかりです」と返す。

心こころ澄すむなと思おもふぞかり、それ厭いとはずばこそ此方こなたへと、天あまはれしく宿やど頼たのむ一樹いちじゆの蔭かげの雨あまやどり、此この里さとの一河いちがの流ながれの果はてはこの里さとに、お泊とまりすも

「心が澄まぬと思えばこそ」——それを厭わぬのならこちらへと、天も晴れやかに宿を頼む。一樹の蔭に雨宿りし、一河の流れを汲むも他生の縁、この里にお泊まりなさいませと。

時鳥ほととぎすも泣なくかな、問とはれて包つつむよしもなく、昔々むかしむかしを語かたるなり

時鳥も鳴くことよ。問われては包み隠すすべもなく、昔のことを語りはじめる。

平太へいた宗清むねきよが九代くだいの後裔こうえい、佐藤さとう兵衛尉ひやうゑのじよう憲清のりきよとて、鳥羽とばの帝みかどの北面ほくめんたりしが、飛花落葉ひくわらくえふの世よを観くわんじて弓矢ゆみやを捨すて、墨染すみぞめに身みを染そめなして法のりの旅たび

「平太宗清の九代の後裔、佐藤兵衛尉憲清と申して、鳥羽の帝の北面に仕えておりましたが、飛花落葉のはかなさに世を観じて弓矢を捨て、墨染の衣に身を染めなして法の旅に出た者でございます」

〔二上り〕

アラ羨うらやましや我われが身みの上うへ父母ふぼさへも白浪しらなみの、寄よする岸辺きしべの川舟かはぶねを棹さを枕まくらせし果敢はかなきに、逢瀬あふせの波なみも春はるの頃ころに花はな咲さいて色いろなす山やまの粧よそほひ

「ああ羨ましいこと。わたくしの身の上は、父母さえも白浪の——寄せる岸辺の川舟に棹を枕とする、はかない暮らし。逢瀬の波も春のころには花が咲き、色を成す山の粧い。

秋あきもゆふべの風かぜに誘さそはれて紅葉もみぢ散ちらして月つきによせ雲くもによせ空そらひくる、人ひとも川竹かはたけの浮うき沈しづみ契ちぎりも縁えんもいつしかか、人ひとを更さらなり心こころ無なき草木くさきも哀あはれあるものを

秋も夕べの風に誘われて紅葉を散らし、月に寄せ雲に寄せて空を仰ぐ。人も川竹のように浮き沈み、契りも縁もいつのまにか。人はいうまでもなく、心なき草木にさえ哀れはあるものを」

〔或る〕

時ときを頓着とんちやくの思おもひ或ある時ときも浅あさからぬ身みの或ある時ときを昔むかしの声こゑを上あげ愛執あいぢふの迷まよひと涙なみだ

ある時は執着の思い、ある時は浅からぬ縁の身の上を——昔を思って声を上げ、愛執の迷いに涙する。

是これは凡人ぼんじんならじと眼めを閉とぢて心こころを静しづめ見みれば不ふ思議しぎや、今いまぞや遊女ゆふぢよの姿すがたたちまち普賢菩薩ふげんぼさつと顕あらはれ給たまひ、慈悲じひ愛憐あいれんの大海だいかい、塵六ぢんろく浴よくの風かぜを吹ふかねども

これはただの人ではあるまいと、眼を閉じて心を静めて見れば、不思議なことよ——いま遊女の姿がたちまち普賢菩薩と現れたまい、慈悲愛憐の大海に、六塵の風は吹かねども。

随縁ずゐえん真如しんによの波なみの立たたぬ日ひもなし、眼まぶたを開ひらけば遊女ゆふぢよと人ひとを心こころを留とどめざれば、つらき浮世うきよも色いろもなく人ひとも慕したはで待まちもせず、又また別わかれ路ぢも嵐あらし吹ふく花はなよ紅葉もみぢよ月つき雪ゆきのふりふる事ことアラ

随縁真如の波の立たない日はない。眼を開けば遊女、人に心を留めなければ、つらい浮世も色を失い、人を慕うこともなく待つこともない。また別れ路にも嵐が吹き、花よ紅葉よ月よ雪よと、降り古ることばかり。ああ——

眼まぶたを閉とぢければ菩薩ぼさつにて、異香いきやうの薫くんじ糸竹いとたけの調しらべ、六牙ろくげの象ざうに打乗うちのりて雲くもの内うちに虚空こくうを摩ままれ給たまふぞ有難ありがたき

眼を閉じれば菩薩の姿。異香が薫り、糸竹の調べが響く。六牙の白象に打ち乗って、雲のうちに虚空を摩したまうのは、まことに有難いことである。

〔光明〕

光明くわうみやう四方しはうに輝かがやきて拝をがまれ給たまふぞ有難ありがたき、行法師ぎやうほふしが生身しやうじんの普賢菩薩ふげんぼさつを拝をがみたる、江口えぐちの里さとの雨宿あまやどり、空そらも時雨しぐれの後のちの世よを写うつして謳うたふ一ひとト節ふし

光明が四方に輝いて、拝みたてまつるのは有難いこと。行法師が生身の普賢菩薩を拝んだという、江口の里の雨宿り——空も時雨れる、その後の世までを写して謳う一節である。

この曲は詞章の出典が他と異なる。純邦楽詞章集に立項がないため、『長唄撰集』第一編(大正十四年・長唄会編・著作権消滅)所収の本文(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵本)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。

原典は木版の行書体のため、読み取りに推定を含む箇所がある。とくに「一祈り不住の桜」「都を跡小時」「なきさの断り」「天はれしく」「果てはこの里に」「塵六浴の風」「空を摩まれ給ふ」は字が判読しきれず、前後の文意から補った。また第二段から第三段にかけての数句は判読できず省いている。お手元の稽古本と必ず照合されたい。

能「江口」に取材する。西行法師が摂津の江口の里で遊女に宿を断られ、歌を詠み交わしたのち、遊女が普賢菩薩の姿を現して消えるという説話による。

西行の歌「世の中を厭ふまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな」と、遊女の返歌「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心留むなと思ふばかりぞ」(『新古今和歌集』)を曲の中心に据える。

西行は俗名を佐藤義清(のりきよ)といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家した。「平太宗清」は平氏の一族で、佐藤氏の遠祖にあたるとする系譜による。

「一樹の蔭一河の流れ」は「一樹の蔭に宿り一河の流れを汲むも他生の縁」の句による。袖すり合うも多生の縁の意。

「六塵」は色・声・香・味・触・法の六つの対象で、人の心を汚す塵にたとえる。「随縁真如」は縁に随って現れる真如。「六牙の象」は普賢菩薩の乗る六本の牙をもつ白象。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。