藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

明烏(上)あけがらす(じょう)

清元  本名題『明烏花濡衣』(あけがらすはなのぬれぎぬ)の上の巻  作者・作曲者・初演年不詳

明烏(上) 雪の夜の閉ざされた門と雪駄
雪の夜の閉ざされた門と雪駄

吉原の遊女浦里と、通いつめて出入りを止められた若い客時次郎の話による一曲の上の巻(原典の目次に括弧書きで「浦里時次郎」とある)。浦里時次郎の話は新内の「明烏」で名高い。白雪に解けぬ恋をたぐえて起こし、人目を忍んで二階に居続ける時次郎は、望みが叶わず願書も突き返されたと明かして、一人死ぬ覚悟を告げる。浦里は「どうせ死ぬなら三途の川も二人手を取って」「殺してから行け」とすがりつく。そこへ遣手のお萱が来て時次郎と見破り、浦里は楼主のもとへ引き立てられ、時次郎は男衆に打ち叩かれて表へ突き出される。心中を思い詰める場を含む曲なので、席によっては扱いに心を配りたい。続きは「明烏(下)」。

あらすじ

白雪の積もるのにたぐえて解けない恋を抱く浦里。どうした縁か、逢ったはじめから時次郎がかわいく、身にしみて惚れ抜いた。出入りを止められた時次郎は、浦里の二階に人目を忍んで居続けている。見世が開いて人の来ない間に、時次郎は身の置き所もない因果を嘆き、浦里は堰かれてもこらえてくれる志を嬉しいと泣く。時次郎は、あのお方へ手を回しても望みは叶わず、願書まで突き返されたと明かし、自分ひとり死ぬから亡きあとの回向を頼むと言い捨てて立とうとする。浦里は取りすがり、起請誓紙もみんな空ごとか、どうせ死ぬなら三途の川も二人手を取って、殺してから行けと泣く。そこへ遣手のお萱が来て、居続けの客が時次郎と見破り、旦那が呼んでいると浦里を引き立てて降りてゆく。あとに残った男衆は時次郎を屏風の内から引き出し、踏む打つ叩くの末に表へ突き出して、門の戸をはたと閉めた。

詞章と現代語訳

白雪しらゆきの、積つもるも恋こひにたくらべて、解とけぬ思おもひを浦里うらざとが、何どうした縁えんで彼かの人ひとに、逢あふた初手しよてから可愛かはいさが、身みに染しみじみと惚ほれ抜ぬいて〔合〕あけて口惜くやしき鬢びんの髪かみ、撫上なであげ撫上なであげ

白雪の積もるのも恋にたぐえて、解けない思いを抱く浦里。どうした縁であの人に逢ったのか、はじめからかわいさが身にしみじみと染みて惚れ抜き——夜が明けて口惜しい鬢の髪を、撫で上げ撫で上げ、

浦里うらざとモウ誰たれもさし合あはないかや

浦里、もう誰も差し障りはないか。

見世みせが出でたれば今いまの間まは、誰たれも来くることでは御座ござんせぬわいナ

見世が開いたので、今のうちは誰も来ることはございませんわいな。

ヤレヤレ此この広ひろい二階にかいに身みひとつの、置所おきどころのないと言いふは、ア因果いんぐわな身みになつたことぢやナア

やれやれ、この広い二階に、わが身ひとつの置き所もないとは、ああ、因果な身になったことじゃなあ。

サア此この様やうに堰せき堰せかれ、嘸さぞ気詰きづまりで御座ござんせう、夫それを堪こらへて下くださんすも、みんな私わたしが可愛かはいいと思おもふてのお意志こゝろざし、嬉うれう御座ござんす忝かたじけけないわいナア

さあ、このように逢うのを堰かれて、さぞ気詰まりでございましょう。それをこらえてくださるのも、みんなわたしをかわいいと思ってのお志。嬉しゅうございます、かたじけのうございますわいなあ。

歎なげきしずめば否いや〔合〕己おれ故ゆゑの此この苦労くらう、免ゆるしてたもと言葉ことばさへ、泣なきの涙なみだに暮くれけるが

泣き沈むので、「いや、おれのためのこの苦労、許してくれ」と言う言葉さえ、泣きの涙にかき暮れていたが、

いつまで斯かうして居ゐたとても、限かぎりもなき二人ふたりが中なか、長居ながゐする程ほどそなたの身詰みづまり此この程ほど段々だんだん話はなす通とほり、カノお人ひとへ色々いろいろ手てを廻まはし、言入いひいれても叶かなはぬ望のぞみと、願書ぐわんしよまでも突戻つきもどされし身みの本意ほいなさ

いつまでこうしていても、果てしのない二人の仲。長居するほど、そなたの身は詰まるばかり。このあいだから少しずつ話している通り、あのお方へいろいろ手を回して申し入れても叶わぬ望みと、願書までも突き返された身の無念さ。

そなたも共ともにと言いひたいが、いとしそなたに手てを掛かけて〔合〕どうなるものぞ長ながらへて、我わが亡なき跡あとで一遍いつぺんの、回向ゑかうを頼たのむさらばやと、言捨いひすて立たつを

そなたも一緒にと言いたいが、いとしいそなたに手を掛けて何になろう。生きながらえて、わたしの亡きあとで一遍の回向を頼む。さらば——と言い捨てて立つのを、

取とりついて、あんまりむごい情なさけなや、今宵こよひ離はなれてこなさんの、健まめで居ゐさんす其その身みなら、又また逢あふことのあらうかと、楽たのしむ事ことのあるべきが

取りすがって、あんまりむごい、情けない。今宵離れても、あなたが達者でいる身なら、また逢うこともあろうかと楽しみにもできようが、

かねて二人ふたりが取換とりかはす、起請きしやう誓紙せいしはみんな空そら

かねて二人が取り交わした起請誓紙は、みんな空ごとか。

どうで死しなんす覚悟かくごなら、三途さんづの川かはも是これ此この様やうに、二人ふたり手てを取とり諸共もろともと

どうせ死になさる覚悟なら、三途の川も、ほらこのように二人手を取って諸共に、と

何故なぜに言いふては下くださんせぬ、殺ころして置おいて行ゆかんせと、男をとこの膝ひざにすがりつき、身みを慄ふるはして泣居なきゐたる

なぜ言ってはくださらぬ。わたしを殺してから行きなされ——と、男の膝にすがりつき、身を震わせて泣いている。

遣手やりての萱かやが声こゑとして

そこへ遣手のお萱の声がして、

子供こどもや緑みどりやア誰たれも居ゐないのか、オヽ浦里うらざとさん

子供や、みどりやあ、誰もいないのか。おお、浦里さん。

アイアイお萱かやどん、何なんの用ようで御座ござんすへ

あいあい、お萱どん、何の用でございます。

外ほかの用ようでも御座ござんせぬが、昨夜ゆうべから居続ゐつゞけの客人きやくじん、ありや何処どこのお方かたで御座ござんすへ

ほかの用でもございませんが、ゆうべから居続けのお客、ありゃどこのお方でございます。

サア何処どこやらの御子息ごしそくさんぢやと言いふ事ことで御座ござんす

さあ、どこやらのご子息さんだということでございます。

イヱイヱさうは抜ぬかさせぬ、慥たしかに堰せかれたアノ時次郎ときじらう、サア旦那だんなさんが呼よんでぢや程ほどに、サア御座ござんせ

いえいえ、そうはごまかさせぬ。確かに出入りを止められたあの時次郎。さあ、旦那さんがお呼びじゃほどに、さあ、おいでなされ。

コレお萱かやどん何卒なにとぞ免ゆるして下くださんせ

これお萱どん、どうか許してくださいませ。

エヽまだるいまだるいそんな甘口あまくちできく奴やつぢやアねへ、サア己おれと一所いつしよにうしやがれ

ええ、まだるい、まだるい。そんな甘口で聞く奴じゃねえ。さあ、おれと一緒に来やがれ。

罪つみも報むくいも後のちの世よも、白髪しらが頭あたまの米噛こめかみも、張はりきるばかりのやら腹立はらだち、引立ひきたてゝこそ降おりにける

罪も報いも後の世も構わず、白髪頭のこめかみも張り裂けるばかりの腹立ちで、浦里を引き立てて二階を降りていった。

跡あとに大勢おほぜい男共をとこども、屏風びやうぶの内うちの時次郎ときじらう、無二無三むにむさんに引出ひきだし、踏ふむやら打うつやら叩たゝくやら、直すぐに戸外おもてへ突出つきだし、門かどの戸とはたと締しめにけり

あとに残った大勢の男衆が、屏風の内の時次郎をむりやり引き出し、踏むやら打つやら叩くやら、すぐに表へ突き出して、門の戸をはたと閉めてしまった。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。

原典の資料の題名は『明烏花濡衣』で、ここに収めるのはその上の巻(原典の見出しは「明烏(上)」)。原典の目次に括弧書きで「浦里時次郎」とある。作者の記載は原典にない。下の巻は当ライブラリの清元「明烏(下)」。

浦里時次郎の話は、新内節の「明烏夢泡雪」で広く知られる。当ライブラリの「明がらす」(『歌撰集』の小品)は題が近いが、後朝の別れを明烏に納める別の曲。

台詞の話し手は原典に記されていない。呼びかけと受け答えから、時次郎・浦里・遣手のお萱の詞を見分けて訳した。「子供や緑や」の「緑」は禿の名と見た。

「カノお人へ色々手を廻し、言入れても叶はぬ望と、願書までも突戻されし」は、時次郎が誰に何を願い出て断られたのか、この詞章からは確かめられない。

語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「張きるばかりのやら腹立ち」(「やら」を定めがたい)、「うしやがれ」(失せやがれ、または来やがれの意と見て「来やがれ」と訳した)。

繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(染み/゛\→染みじみ、撫上げ/\、ヤレ/\、アイ/\、イヱ/\、まだるい/\)。どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。

原典の用字「たくらべて」「歎きしずめば」「お意志」「嬉う」「忝けない」はそのまま残した。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。