新うつぼしんうつぼ
常磐津 中村重助 述 本名題『花舞台霞の猿曳』 詞章集の題名『靭猿』 作曲者・初演年不詳

狂言『靭猿』による。大名にあたるのが女性の御代参 三芳野で、供の太郎冠者 橘平に想いを寄せているのが、この常磐津の眼目。弓始めの帰りに靭の皮を求めて猿を所望し、猿曳の嘆きと猿の無心な所作に打たれて命を助ける。後半は三芳野の恋の口説きと、狂言の曲名を詠みこんだ滑稽の踊りに移る。初春の祝儀曲。
あらすじ
新玉の春と告げる人来鳥、睦月の名にふさわしい正月である。一陽来復の弓始め、弓矢八幡を頼む大名の代参として、花靭を背負った太郎冠者が鳴瀧の八幡宮へ参る。梅は紅白の色を争い、源平の争いも遠い昔、都のうちは穏やかで、弓は袋に納めたままである。御名代の三芳野は、役目が済んだからは春の野を眺めて一緒にと橘平の手を取るが、橘平は狂言の言葉づかいもかたくなに振り払う。三芳野が言うには、今年は靭が傷んだので、帰りに靭に張る皮をととのえて来いと主人から言いつかったという。話の半ばへ飼い慣らされた小猿が駆けこみ、幸いの靭にと思ううち、猿を探す猿曳が浮かれて来る。三芳野は猿を譲れと言い、猿曳は明日から商売が立たぬと断るが、上意を聞かぬかと弓を引かれてついに折れる。皮に疵をつけぬよう自分の手で打ち殺そうと鞭を振り上げれば、猿はそれを知らず船を漕ぐ真似をしてみせる。畜生でさえ物を知るのにと、三芳野は命を助けて連れて帰れと言う。喜んだ猿曳は天下太平・御武運長久の祈祷に猿を舞わせ、黄金の花盛りとことほぐ。暇を告げて去ろうとするのを三芳野が引きとめ、打ち込んで惚れた思いを室の梅から南瓜の蔓まで言い連ねて口説く。おどけ交じりの踊りとなり、焙烙割・猿座頭・二人袴・花盗人と狂言の曲名が続き、寝ずの番に忍び寄る鼠を樫の棒で追う一段に移る。舞ううちに小猿がまた梅の梢へ駆け上り、三人が手を伸ばしても届かぬ綱渡り。三筋の霞のかかる猿曳よ、橘の花の薫る花舞台にみなで笑い興じて祝したのであった。
詞章と現代語訳
新玉の春ぞと告て人来鳥、睦じ月の名にしおふ、是も歌舞伎の周の春、姿も花の帰り咲
新玉の春が来たと告げる人来鳥。睦月の名にふさわしく睦まじい正月である。これも歌舞伎の初春の狂言、周の代のような泰平の春で、姿も花の帰り咲きのようににぎわしい。
時も一陽来復の、当りを願ふ弓始め、弓矢八幡大名の、頼ふだ人の代参に、向ひ町から又今年、返り申しの願事の、恋といふ字が花靭、背中に背負た太郎冠者、傘をさそなら春日山、霞を分て梅笑ふ、春の野面の色含む、爰鳴瀧の花の顔見世
時もちょうど一陽来復、的の当たりを願う年初めの弓始め。弓矢八幡を頼む大名の、その主人の代参として、向かいの町からまた今年も参る。願がかなったお礼参りで、恋という字を負うような花やかな靭を背中に背負った太郎冠者。傘をさそうなら春日山、霞を分けて梅がほころび、春の野の面が色を含む。ここ鳴瀧の、花の顔見世である。
立帰り、今を春辺と梅花の、色香争ふ源平の、夫は隔てし播磨潟、都の中は穏かに、袋に弓の八幡大名
立ち帰れば、今を春と梅の花が咲き、紅白の色香を争う源平咲き。その源平の争いも、遠く隔たった播磨潟の昔のこと。都のうちは穏やかで、弓は袋に納めたままの八幡大名である。
頼うだお人は北面の、更科主水経春様、今日例年の弓始め、猶泰平を祈りの為、此鳴瀧の八幡宮へ御名代の三芳野殿、お役目御苦労に存じまする
「わたくしどもの頼うだお方は北面の武士、更科主水経春さま。今日は例年の弓始め、なおいっそう泰平を祈るため、この鳴瀧の八幡宮へお使いに立たれた御名代の三芳野どの。お役目、御苦労に存じます。」
イヱその御苦労は橘平殿も互ひの事、願ひ叶ふて又今年、お前と二人物詣、こんな嬉しい事は御座んせぬ、もう御代参の役目仕舞たからは、春の野もせを詠めながら、サアサア一緒と手を取を振払ひ
「いえ、その御苦労は橘平どのも同じこと。願がかなってまた今年も、お前さまと二人でお参りができました。こんな嬉しいことはございません。もう御代参のお役目は済んだのですから、春の野一面を眺めながら、さあさあ一緒に」と手を取るのを、振り払い。
アヽ是はしたり寄しやりますな寄しやりますな、狂言詞も頑固に
「ああ、これはしたり。お寄りなされますな、お寄りなされますな」と、狂言の言葉づかいもかたくなに。
烏帽子素袍を仮初ならぬ頼うだ人の御名代、御用であらば横柄に太郎冠者あるかやい
「烏帽子素袍を着けた、かりそめならぬ頼うだお人の御名代でござる。御用がおありなら、大様に構えて『太郎冠者、あるかやい』と仰せられませ。」
ハア御前にと蹲踞る
「はあ、御前に」と、かしこまってうずくまる。
こちは元より使はれもの、色恋の道白川や、人目の関の袖褄ならで、網引餌引四ツ手引、山ぢやへ山ぢやへ木をひく麦の臼、まはらば廻れ伊勢同者、昔は車今は銭、投さんせ投さんせ、縞さん紺さん花色さん、コレコヲレコヲレ小紋さんやてかんせと、引戻されたアヽ長縄手、心も優な太郎冠者
こちらはもとより使われ者、色恋の道は知らぬ白川夜船。人目の関を越えて袖を引き合うのではなく、網引き、餌引き、四つ手引き。山じゃへ山じゃへと木を引く、麦の臼。回るなら回れ伊勢同者。昔は車、今は銭を投げなされ投げなされ。縞さん、紺さん、花色さん、これこれ小紋さんや、来やしゃんせと、引き戻されたああ長縄手。心も優しい太郎冠者よ。
ハヽヽヽもふ道草のおどけは取置て、サアお館へ
「ははは、もう道草のふざけはこれくらいにして、さあお館へ。」
イヤイヤまだめつたには帰らぬはいな
「いやいや、まだめったには帰りませぬわいな。」
そりや又何故で御座りますな
「それはまた、なぜでございますな。」
サア御主人経春様、毎年の古例故、弓矢と靭を此様に持せて、氏神様へ参らせ給へど、今年はいかふ靭が損じた戻りに靭になる皮をとゝのへて来いと、言付つて来たはいな
「さて、御主人経春さまは毎年の古い例ゆえ、弓矢と靭をこのように持たせて氏神さまへ参らせなさるけれど、今年はひどく靭が傷んでしまった。帰りに靭に張る皮をととのえて来いと、言いつかって来たのですわいな。」
ハテ女中には似合ねことを仰有りつけで御座りますなア
「はて、女中がたには似合わぬことを仰せつかったものでございますなあ。」
話し半ばへ向ふより、手飼の小猿折よくも、二人が中へ駆込めば、吃驚飛退き
話の半ばへ、向こうから飼い慣らされた小猿が折よく、二人のあいだへ駆けこんできたので、驚いて飛びのき。
ヤア何だと思つたら、こりやア猿であつたわへ
「やあ、何かと思ったら、これは猿であったわえ。」
ヲヽ丁度な所へ放れ猿、皮をとつて幸ひの靭に
「おお、ちょうどよいところへ放れ猿。皮を取って、幸い靭にしよう。」
いへいへこりや大方主が御座りませふ何でも猿遣などが放した猿と見へまする
「いえいえ、これはたいてい持ち主がございましょう。どうやら猿遣いなどが放した猿と見えまする。」
そんなら其主に断らいでは悪いかへ
「それなら、その持ち主に断らなくてはいけないかえ。」
何にしろ此主に逢たいものだなア
「何にしろ、この持ち主に逢いたいものだなあ。」
見やる彼方へきよろきよろ目
見やる向こうのほうへ、きょろきょろと目を配る。
こゝら在所の得意旦那をくるりくるりと猿廻し
このあたりの村々の得意先の旦那衆を、くるりくるりと回って歩く猿廻し。
隣り村から今日此村の、葺屋町へと御贔負の、風に廻され真赤いな赤かんべ、初心は知た初舞台、罷り出たらめ出放題、酒のさの字のその暇に見失ふたる猿丸の、迷子の迷子の太夫やい、迷子の迷子のおさるやいと呼子鳥、紅葉にあらで咲まさる、まさる目出度猿曳が、紋もでつかり裏梅の、梅の林をうかれ来る
隣り村から、今日はこの村の、葺屋町へとご贔屓の——風に回されて真っ赤な赤かんべ。初心は承知の初舞台、罷り出ましたるでたらめ出放題。酒のさの字のその隙に見失うた猿丸の、迷子の迷子の太夫やい、迷子の迷子のお猿やいと呼ばう呼子鳥。紅葉ではなくて咲きまさる、その「まさる」もめでたい猿曳が、紋も大きな裏梅の、梅の林を浮かれて来る。
ヲヽ太夫此処に居たか、サ爰へ来い来い、寄を隔てゝ
「おお、太夫、ここにいたか。さあ、ここへ来い来い。」と、間を隔てて。
すりや其猿の主は貴様か、コレコレ何と物は相談ぢやが、その猿をどうぞ譲つては呉まいか
「すりゃ、その猿の持ち主はお前か。これこれ、何と、物は相談だが、その猿をどうぞ譲ってはくれまいか。」
滅相な此太夫殿を手放しましては、翌から商売がなりませぬ
「滅相もない。この太夫どのを手放しましては、明日から商売が成り立ちませぬ。」
なる程尤もぢやが、アレ彼処に御座る女中は、更科主水経春様といふ、お大名の御代参、今度賭弓の御遊に、大内で用ゆる靭に、猿の皮が入用ぢや程に、あなたに猿を売つては呉まいか
「なるほどもっともだが、あれ、あそこにおいでの女中は、更科主水経春さまというお大名の御代参。こんどの賭弓の御遊びに、御所で用いる靭に猿の皮が入用じゃほどに、あの方に猿を売ってはくれまいか。」
イエなんぼう大内の御遊でも、是ばつかりは御免下さりませ御免下さりませ、詫るに
「いえ、なんぼう御所の御遊びでも、これだけはご免くださりませ、ご免くださりませ」と詫びるのに。
此方はつけ上り
こちらはますますつけ上がり。
そんならばどうでもならぬといやるか、女とあなどり上様の、上意を聞きやらねば仕様がある
「それならば、どうしてもならぬと言われるか。女と侮って上様の上意を聞かぬとあれば、こちらにも仕様がある。」
素袍投かけ大名の、威を張つめし弓張の、矢先鋭く立かゝる、猿曳驚き飛しさり
素袍を肩に投げかけ、大名の威を張りつめた弓の弦、その矢先も鋭く立ちかかれば、猿曳は驚いて飛びしさり。
アヽもし待て下さりませ待て下さりませ、成程斯なるからは猿の皮をあげませふが、射殺されては猿の皮に、疵がついて役に立ますまい、ハテどうか仕様がと、小首傾け点頭て
「ああ、もし、待ってくださりませ、待ってくださりませ。なるほど、こうなったからは猿の皮を差し上げましょうが、射殺されては猿の皮に疵がついて役に立ちますまい。はて、どうにか仕様があろう」と、小首をかしげてうなずいて。
ヲヲよい事が御座ります、猿の一打と申して急所が御座ります程に、皮にも疵の付ぬやうに、打殺してあげませふ
「おお、よいことがございます。猿の一打ちと申して急所がございますほどに、皮に疵のつかぬように、打ち殺して差し上げましょう。」
そんならきつと打殺して、サ早う渡せ
「それならきっと打ち殺して、さあ早う渡せ。」
ハツ
「はっ。」
かしこまつて御座ると立上り、又あるまじきお望みは只今殿様殺せとある、ならぬと言ば俺ともに、只一矢にて射殺すと、引に引れぬ強弓の、仰はかなき今日の仕儀、コレましよ
「かしこまってござる」と立ち上がり——またとあるまじきお望みは、ただいま殿様が「殺せ」と仰せられる。ならぬと言えば俺ともども、ただ一矢で射殺すという。引くに引かれぬ強弓の、そのお言葉のはかない今日の仕儀よ。「これ、ましよ。」
小猿の時から飼置て、朝夕の煙りさへそちがかげにて楽々と暮せしものを情ない
「小猿の時から飼っておいて、朝夕の煙——その日その日の煮炊きさえ、そなたのおかげで楽々と立ててきたものを。情けない。」
畜生なれどもよう聞よ
「畜生ではあるけれど、よう聞け。」
せめて今度は人間に生れ変つて来るやうに、数へ込だる一節に
「せめて今度は人間に生まれ変わって来るように」と、思いを数えこめた一節に。
ヱヽさりとはさりとは、ヱヱ又有かいなさんな又あろかいな
「ええ、さりとは、さりとは。ええ、またあろうかいな、またあろうかいな。」
是非なく是非なくも立上り、振上し鞭の下廻る小猿のいぢらしさ
是非なく是非なくも立ち上がり、振り上げた鞭の下で回る小猿の、いじらしさよ。
アレアレ今のを御覧なされしか、打殺さるゝ鞭とは知ず、船漕ぐ真似を仕まするわいの
「あれあれ、今のをご覧なされたか。打ち殺される鞭とも知らず、船を漕ぐ真似をいたしまするわいの。」
そんなら何といふ、殺さるゝとは知らいで芸をするかや
「それなら何としたこと、殺されるとも知らずに芸をするのかや。」
畜生でさへ物を知るに、いかに主命なればとて
「畜生でさえ物を知るというのに、いかに主命なればとて。」
ものゝ哀れも顧みず、どうして夫が殺されう、命を助けた連て帰りや
「物のあわれも顧みずに、どうしてそれが殺されよう。命は助けた、連れて帰りゃ。」
エヽ夫は誠で御座りまするか
「ええ、それは誠でございまするか。」
おいのう
「おお、そうじゃとも。」
ヤレヤレヤレ嬉しや、お礼に猿に舞せませふ、天下太平御武運長久御祈祷に、猿が参つて能仕つる
「やれやれやれ、嬉しや。お礼に猿を舞わせましょう。天下太平・御武運長久のご祈祷に、猿が参って能をつかまつる。」
御知行もまさる目出度、踊るが手元面白や、ハンヤコリヤコリヤコリヤ黄金の数々積揃へ、庭に黄金の花盛り、花実も栄ふ目出度さよ
御知行もいよいよまさってめでたく、踊る手つきの面白さよ。はんやこりゃこりゃこりゃ、黄金の数々を積みそろえ、庭に黄金の花盛り。花も実も栄えるめでたさよ。
さらば我らはお暇と、行を引とめ
「さらば、我らはおいとま」と行くのを引きとめ。
これ待た
「これ、待ちゃ。」
そりやまあなんの事ぢやいな、私しやお前に打込で誑されて咲くコレハ何ぢやい室の梅、笹鳴かける黄鳥菜なと納豆の朝毎に飛で行たや主の側、見れば見る程くつきりと、水際のたつよい男、男やもめと南瓜の蔓は何処までも、さいかち原の中迄も、こちやお前ならば関やせぬ、お前と一生添うなら、お薯や好な団子を、断物したが憎いかヘ
「それはまあ、何のことじゃいな。わたしゃお前に打ち込んで、たらしこまれて——咲く、これは何じゃい、室の梅。笹鳴きをかける鶯、菜なと納豆の朝ごとに、飛んで行きたや主のそば。見れば見るほどくっきりと、水際の立つよい男。男やもめと南瓜の蔓はどこまでも、さいかち原の中までも。こちゃお前ならば関はせぬ。お前と一生添えるものなら、と好きな芋や団子を断ち物までしたのが、憎いかえ。」
ヱゝ女子には何がなる、焦れ焦れしお姿を
「ええ、女子にはかなわぬ」——焦がれに焦がれたそのお姿を。
絵には書せはせぬものを、蕩気ざ惚たが分るまい、まいまい廻はる煤払ひ、枝も栄へて葉も茂る、お目出たや千代の子お目出たやお目出たや、おきよ所の笑ひ草
「絵には描かせもせぬものを。とろけるほど惚れたのが分かるまい」——まいまい回る煤払い、枝も栄えて葉も茂る。お目出たや千代の子、お目出たや、お目出たや。おきよ所の笑い草である。
おどけ雑りに小垣の小影の、小暗い所で夜のおとゞのねんねこエヽ念が届いてばつちりと、焙烙割とは大胆な、亭主をよくもさる座頭、二人袴の綻びし、中を押へて
おどけ交じりに、小垣の小陰の小暗いところで、夜の御殿のねんねこ。ええ、念が届いてばっちりと。焙烙割とは大胆な、亭主をよくも——猿座頭、二人袴のほころびた、その仲を押さえて。
やるまいぞやるまいぞ、花盗人をやるまひぞ
「やるまいぞ、やるまいぞ。花盗人をやるまいぞ。」
おのれ逃ぎよとておいそれと、やつちやしてこい不寐の番
「おのれ、逃げようとしてもおいそれとは行かぬ。やっちゃしてこい、寝ずの番。」
棒と手拭枕もと、つかれにたわい転寐の寐息窺ひ寄る鼠、そろそろ這出しちよつかいに、はし箱膳棚を踏荒したる畜生め、これもくらはす樫の棒、すぢつてもぢつてかぎやりやヱイヱイトウトウ、やつとふの納太刀、豊かの御代の一踊
棒と手拭いを枕もとに、疲れにたわいなくうたた寝の、その寝息をうかがって寄って来る鼠。そろそろと這い出してちょっかいを出し、箸箱や膳棚を踏み荒らしたる畜生め。これにも食らわす樫の棒。すじってもじってかぎやりゃ、えいえい、とうとう。やっとうの納め太刀、豊かな御代の一踊りである。
立舞ふうちに以前の小猿、あたりの梅へ駆上れば、見るより吃驚
立ち舞ううちに、さきほどの小猿があたりの梅の木へ駆け上ったので、見るより驚き。
アレアレ猿が梅の梢へ、コレ太夫おりて呉れ
「あれあれ、猿が梅の梢へ。これ太夫、下りてくれ。」
そうに三人立かゝり、届かぬ梢の綱渡り、三筋の霞猿曳や、橘花薫る花舞台、笑ひ興じて祝しける
そうにと三人が立ちかかり、手の届かぬ梢を猿は綱渡り。三筋の霞のかかる猿曳よ、橘の花の薫る花舞台に、みなで笑い興じて祝したのであった。
この曲は常磐津。詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第四編 常磐津集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。
詞は中村重助。本名題は『花舞台霞の猿曳』で、原典もこの題名で載る。作曲者・初演年は原典に記載がない。
原典の題名は「靭猿」だが、長唄の「靭猿」と同名になってしまうため、当ライブラリでは原典が併記する別題『新うつぼ』を曲名に採った。長唄の「靭猿」とは別の曲である。
「靭」は矢を入れて背に負う筒で、獣の皮を張る。曲の発端はこの皮を求めるところにある。
「人来鳥」は鶯の異称。「周の春」は中国の周の代になぞらえた泰平の春をいう。
「弓始め」は年の初めに射初めをする行事。「賭弓」は的中を競う宮中の行事。
「白川」は白川夜船で、何も知らぬことをいう。以下「網引き」「餌引き」「四つ手引き」「木をひく」「引き戻された」「長縄手」と、引くことばを続けた地口になっている。
「葺屋町」は江戸の芝居町。猿曳の名乗りに、芝居の口上の言いまわしを取り込んでいる。
「まさる」は猿の異称で、「勝る」を掛ける。猿曳の舞の「御知行もまさる目出度」も同じ掛けかた。
後半のおどけの一段は、狂言の曲名を詠みこんだ尽くしになっている。焙烙割・猿座頭・二人袴・花盗人・棒縛・鼠のたぐいが読み取れる。結びの「やるまいぞやるまいぞ」も狂言の留めの型。
「御贔負」は原典の当て字で、御贔屓のこと。改めずそのままにした。
「コレコヲレ/\」の繰り返し記号は、どこまでを繰り返すのかが定めがたい。ここでは「コレコヲレコヲレ」と読んだが、原典の切り方は確かめられなかった。
次の語は意味の定まらないところで、推測で埋めず原典のまま残した。「伊勢同者」「真赤いな赤かんべ」「寄を隔てて」「コレましよ」(猿への呼びかけらしい)「蕩気ざ惚た」「おきよ所」「やつちやしてこい」「すぢつてもぢつてかぎやりや」「やつとふの納太刀」。
「さんな」「又あろかいな」は囃子詞で、同じ常磐津の「三人生酔」にも出る。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。