藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

手習子てならいこ

変化舞踊「杜若七重の染衣」「姿花秋七種」の一  資料の題名『手ならひ子』

⎙A4一枚に印刷できる詞章(PDF)開く・印刷・保存お稽古や舞台の予習に。A4横一枚にまとめてあります。
手習子 花の下の道草
花の下の道草

寺子屋帰りの娘が花の山で道草をする。いろは歌に恋の心を綴り、天神様への願かけを経て、末は鶯の囀る春景色で結ぶ。

あらすじ

今を盛りの花の山。来ても三芳野の花の蔭、飽きない眺めの可愛らしさ。遅桜はまだ莟である。花のような娘が寺子屋帰りの道草に——なんとも見事な色桜。雛草を結んだ島田髷、はしたないやら恋しいやら。肩の縫い上げもしどけなく、紙撚を食い切って縁を結ぶ。ほどけかかった繻子の帯、振袖の袂にこぼれる梅、花のような笑顔の愛らしさ。「ふたつ文字」から書き初めて、悋気は恥ずかしい「角文字」の——まっすぐな心ひとすじに、お師匠さんのおっしゃったことを、ほんに忘れはしないけれど。ふっつり悋気はすまいぞと矯めてみても情けない。まだ娘気の抜けきらぬあどけなさ、粋な取りなりが目に立つ娘。「娘娘」とそんなにたくさん言っておくれるな——手習い、覚え、琴や三味線、踊りの稽古。言わず語らぬ我が心、乱れた髪の乱れるように、つれないのはただ移り気なせい。どうでも男は悪性者。「さくらさくら」と謡われて、袂の分けは二つ。勤めさえただうかうかと。どうでも女子も悪性者、東育ちは蓮葉なものよ。恋のいろはに「ほ」の字を書いて、それで浮名の「ちりぬるを、わか、よたれそつねならむ、うゐ心おく山けふこえて」——逢うた夢を見た嬉しさに、飲んでも酒に酔いもせず、「京」ぞ恋路の清書である。夫のためとて天神様へ願をかけ、梅を断ちます明白、われ一代立ちます明白。鶯の囀りが梢から梢へ移り、風に翼をひらひらと。梅と椿の花笠を着せて、眺めても尽きない春景色である。

詞章と現代語訳

今いまを盛さかりの花はなの山やま、来きても三芳野みよしの花はなの蔭かげ、あかぬ眺ながめの可愛かはいらし、遅桜おそざくらまだ莟つぼみなり、花娘はなむすめ寺子てらこ戻もどりの道草みちくさに、てんと見事みごとな色桜いろざくら、ひな草ぐさ結むすぶ島田髷しまだまげ、はしたないやら恋こひしいやら

今を盛りの花の山。来てみれば三芳野の花の蔭、飽きることのない眺めの可愛らしさ。遅桜はまだ莟である。花のような娘が寺子屋帰りの道草に——なんとも見事な色桜よ。雛草を結んだ島田髷、はしたないやら、恋しいやら。

肩かた縫ぬひ上あげのしどけなく紙撚こよりくひ切きる縁えんむすび、ほどけかかりし繻子しゆすの帯おび、振ふりの袂たもとのこぼれ梅うめ、花はなの笑顔ゑがほのいとしらし

肩の縫い上げもしどけなく、紙撚を口で食い切って縁を結ぶ。ほどけかかった繻子の帯、振袖の袂にこぼれる梅の花——花のような笑顔の、いかにも愛らしいこと。

ふたつ文字もじから書かきそめて、悋気りんき恥はづかし角文字かどもじの、すぐな心こころのひと筋すぢに、お師匠ししやうさんのおつしやつたを、ほんに忘わすれはせぬけれど

「ふたつ文字」から書き初めて、悋気は恥ずかしい「角文字」の——まっすぐな心ひとすじに、お師匠さんのおっしゃったことを、ほんに忘れはしないけれど。

ふつつり悋気りんきせまいぞと、矯たんで見みても情なさけなや

ふっつり悋気などすまいぞと、心を矯めてみても、われながら情けないこと。

まだ娘気むすめぎの跡あとや先さき、あづまへもなきあどなさは、粹すゐなとりなり目めに立たつ娘むすめ

まだ娘気の抜けきらぬ、そのあどけなさ。粋な取りなりが人目に立つ娘である。

娘むすめ娘むすめとたくさんにさうに、言いふてお呉くれな手習てならひ覚おぼえ琴ことや三甲線さみせん踊をどりの稽古けいこ

「娘、娘」とそんなにたくさん言っておくれるな。手習いに、覚えごと、琴や三味線、踊りの稽古と。

言いはずかたらぬ我わが心こころ、乱みだれし髪かみの乱みだるるもつれないは唯ただ移うつり気ぎな、どうでも男をとこは悪性者あくしやうもの

言わず語らぬ我が心。乱れた髪の乱れるように心も乱れるのに、つれないのはただ移り気なせい。どうでも男は悪性者である。

さくらさくら諷うたはれていふて袂たもとのわけ二ふたつ、勤つとめさへ唯ただうかうかと、どうでも女子をなごは悪性者あくしやうもの、東あづま育そだちは蓮葉はすはなものぢやへ

「さくらさくら」と謡われて、言えば袂の分けも二つ。勤めさえただうかうかと過ごして——どうでも女子も悪性者。東育ちは蓮葉なものよ。

恋こひのいろはにほの字じを書かいて、それで浮名うきなのちりぬるをわか、よたれそつねならむうゐ心ごころおく山やまけふこえて、逢あふた夢ゆめみし嬉うれしさに、飲のめどもささに酔ゑひもせず、京きやうぞ恋路こひぢの清書せいしよなり

恋のいろはに「ほ」の字を書いて、それで浮名の「ちりぬるを」。「わか、よたれそ、つねならむ」——「うゐ」の心を置く「奥山けふこえて」、逢った夢を見た嬉しさに、飲んでも酒に酔いもせず。いろは歌の末の「京」こそ、恋路の清書というものである。

つまの為ためとて天神様てんじんさまへ願ぐわんかけて、梅うめを断たちます明白めいはくサア、われ一代いちだい立たちます明白めいはく、梅うめを梅うめを立たちます明白めいはく、サアわれ一代いちだい実じつほんに、さうぢやいな品しなもよや

夫のためとて天神様へ願をかけて、梅を断ちます、たしかに。わたし一代のあいだ断ちます、たしかに。梅を、梅を断ちます、たしかに。さあ、わたし一代——ほんにまことに、そうじゃいな、品もよいこと。

請鳥うぐひすの囀さへづり、梢こずゑ梢こずゑの枝えだにうつりて風かぜに翼つばさのひらひらひら、梅うめと椿つばきの花笠はながさ着きせて着きせて、眺ながめつきせぬ春景色はるげしき

鶯の囀りが梢から梢の枝へと移って、風に翼をひらひらと。梅と椿の花笠を着せて、着せて——眺めても尽きることのない春景色である。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。資料の題名は『手ならひ子』、目次の題名は『手習ひ子』。

変化舞踊「杜若七重の染衣」「姿花秋七種」の一。寺子屋帰りの娘の可憐さを描く娘物の代表曲で、今日もよく演じられる。

「ふたつ文字」「角文字」は『徒然草』に見える言葉遊びで、「こ」「い」の字をいう。二つ並んだ文字が「こ」、角のある文字が「い」で、合わせて「恋」となる。手習いに掛けた洒落。

「紙撚を食い切る」は、紙をよった紐を口で切って結ぶこと。「縁むすび」に掛ける。

「悪性者」は浮気者。男を責めたあと、女も同じだと返すのが唄の運び。

後半はいろは歌を順に詠み込む。「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」——これに恋の心を重ね、最後の「京」で結ぶ。「あさきゆめみし・ゑひもせす」を「逢ふた夢見し・酔ひもせず」と読みかえるのが眼目。

「天神様」は菅原道真を祀る天満宮。梅を神木とするため、願かけに梅を断つ(梅を食べない、梅の模様を身につけない)という誓いを立てた。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。