藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
荻江

所縁の茶杓ゆかりのちゃしゃく

荻江節  茶の湯尽くし  作詞者・作曲者・初演年不詳

⎙A4一枚に印刷できる詞章(PDF)開く・印刷・保存お稽古や舞台の予習に。A4横一枚にまとめてあります。
所縁の茶杓 宇治の茶摘みと水車
宇治の茶摘みと水車

祭礼の花山車の囃子に始まり、茶筅・茶杓・帛紗さばきから濃茶と薄茶の掛詞へ、さらに宇治の茶摘み、茶の湯の水を汲む早瀬へと転じて、最後は住の江の神遊びと五穀豊穣の寿ぎで納まる。他の曲と異なり『徳川文芸類聚』所収の荻江節正本による。

あらすじ

見事に飾り立てた花山車、笛と太鼓の囃子。警固の衆に声をかけよ、赤坂奴が振り出す——伊達を飾る祭りの群れのなかでもとりわけ目に立つのが、茶筅茶杓を扱う姿、その帛紗さばきの愛らしさ。とかく浮世は恋の世の中、あなたと私は濃茶の仲でも人が水を差せば薄くなる。口切りの釜をたぎらせ、目もとの品定め。情け薄の薄茶は嫌でございます、お茶を召し上がれ。そもそも茶の起こりは天竺の耆婆の息女、二十歳で世を去り、その体の下から生え出たのが茶の木——だから「茶」の字は廿と人と木と書くのだ。春が過ぎれば宇治の里の女たちが茶籠を手に、赤前垂れに赤手拭い。橋の下では水車がくるりくるりと回り、井堰に白波が立つ。どっと打ってはさっと引く早瀬の水こそ茶の湯には味がよいと、茶を立てる音がちゃっきりこっきり。やがて秋風が身にしみ、萩のなびきに招かれて独り寝の思い。最後は曇りなき十寸鏡、住の江の松に宿る神遊び、五穀円満・民安全・国土成就の祭事と、今日の賑わいを寿ぐ。

詞章と現代語訳

〔ハル〕

やあれ、見事みごとに見事に飾かざり立たたる花山車はなだし、囃子はやしの笛ふえ太鼓たいこ

やあ、見事に見事に飾り立てた花山車。囃す笛と太鼓の音。

一様いちやうにいづれ劣おとらぬ華はなやかに、扨さてもそろうたへ、やんれそれ声こゑかけて囃はやさんせ警固けいごの衆しゆ

どれもこれも劣らず華やかに、まあよく揃ったこと。それそれ、声をかけて囃してくださいな、警固の衆よ。

赤坂奴あかさかやつこの振ふり出だす振り出す、なにがさてな、さてな、やんれそれ声こゑかけて囃はやさんせ警固けいごの衆しゆ、いさぎよや

赤坂奴が振り出す、振り出す。なにがさてな、さてな。それそれ、声をかけて囃してくださいな、警固の衆よ。いさぎよいことよ。

〔カン〕

伊達だてを飾かざるや色々いろいろに、わけて目めに立たつ

思い思いに伊達を飾り立てるなかで、とりわけ目を引くのは——。

〔ギンガハリ〕

風流ふうりう出立いでたち、しやんとこぎりめに、茶筅ちやせん茶杓ちやしやくの品しなもよく、帛ふくささばきもなあ、かはゆらし

風流な出立ち、きりりと身をこなして、茶筅茶杓を扱う品もよく、帛紗さばきもまあ、なんと愛らしいこと。

〔三ノギン〕

とかく浮世うきよは恋こひの世よの中なか、君きみと我われとは濃茶こいちやのはなが、人ひとが水みづさしや薄うすくなる

とかくこの世は恋の世の中。あなたと私は濃茶のように濃い仲であっても、人が水を差せば薄くなってしまう。

ゑゝ憎にくてらしさよ、いたづら悪わるじやれ、お手紙てがみじつとも控ひかへた

ええ、憎らしいこと。いたずらな悪ふざけばかり。お手紙もじっと控えたまま。

〔ギン〕

お茶ちやの口切くちきり、たぎらす目めもと品定しなさだめ

お茶の口切り、釜の湯をたぎらせながら、目もとの品定め。

〔ハシル〕

まだ初秋はつあきのみじかさよ、情なさけ薄茶うすちやはいやで候さふらふ、お茶ちやまゐれ

まだ初秋、夜の短いことよ。情け薄の薄茶は嫌でございます。さあ、お茶を召し上がれ。

〔ツヅミウタ〕

及およばぬ恋こひさへ叶かなふぞや

及ばぬ恋でさえ、叶うこともあるのだから。

〔大カン〕

そもそもお茶ちやのはじまりは、天竺てんぢく耆婆ぎばが息女そくぢよにて、二十歳はたちにて身罷みまかりし、体たいの下したより生はへ出いづる

そもそもお茶の始まりは、天竺の耆婆の息女——二十歳で世を去り、その体の下から生え出たのが茶の木である。

〔鶴二 せりふ〕

さればお茶ちやの茶ちやの字じは、二十はたちの人ひとの木きとかけり。春はるすぎゆけば宇治うぢの里さとの女郎衆ぢよらうしゆ、てんでに茶籠ちやかごを手てに持もつて

だからお茶の「茶」の字は、廿(二十)と人と木を組み合わせて書くのだ。春が過ぎゆけば、宇治の里の女たちがてんでに茶籠を手に持って——。

〔歌カン〕

赤前垂あかまへだれに赤手拭あかてぬぐひ、小褄こづまをしやんとやらせて、しやんならしやんなら、しやんならしやんならとやらせて、橋はしの下したを見みてあれば

赤い前垂れに赤い手拭い、褄をきりりと取らせて、しゃんなら、しゃんなら——そう歩ませて、橋の下を見ていると。

〔二ノギン〕

水車みづぐるまがくるりのくるりの、くるりくるりくるりの井堰ゐせぎにかかる白波しらなみ

水車がくるり、くるり、くるりくるりと回って、井堰にかかる白波よ。

どつと打うつてはさつと引ひく、早瀬はやせの水みづこそお茶ちやの湯ゆには味あぢがよいとの、茶ちや立たつる音おとはちやつきりやこつきり、ちやつきりこつきり、ちやつきりや、品しなもよく

どっと打ち寄せてはさっと引く、この早瀬の水こそ茶の湯には味がよいという。茶を立てる音はちゃっきりこっきり、ちゃっきりこっきり——その手つきの品のよいことよ。

〔初五郎・松助 出〕

二八にはち盛ざかりの商人あきうども、しやれた風ふうにははかどらず

十六の盛りの商人も、洒落た風にはなかなか商いが進まない。

〔カン〕

とる手てはづかし文月ふみづきも、はや候さふらべくに奈良団扇ならうちは

手に取るのも恥ずかしい文月——もうその時節でございましょうに、と差し出す奈良団扇。

〔三ノギン〕

螢ほたる来こいとて小手こて招まねく、かふて下くだんせ、かはしやんせ

螢よ来いと小手を招く——その団扇を、買ってくださいな、買ってくださいな。

〔ヲドリ〕

恋こひといふもので、身みにしる秋あきの風かぜ吹ふきに、妻戸つまどの音信おとづれ、はてもしんき

恋というもののせいで、身にしみて知る秋の風。妻戸を訪れる音を待ちわびて、まあなんと辛気くさいこと。

萩はぎのなびきに招まねきにだまされて、露つゆのこの身みの独寝ひとりねに、いつそ心こころにあいそもこそも、月つきは思おもひを十寸鏡ますかがみ

萩がなびいて招くのに騙されて、露のようにはかないこの身の独り寝。いっそ愛想も小想も尽き果てる思い——月は、その思いを映す十寸鏡。

曇くもらず代々よよも住すみの江えの、松まつにもゐます神遊かみあそび、五穀円満ごこくゑんまん民たみ安全あんぜん、国土成就こくどじやうじゆの祭事まつりごと、げに面白おもしろきけふの賑にぎはひ

その鏡は曇ることなく、代々澄みわたる——住の江の松に宿ります神の遊び。五穀は円満、民は安全、国土成就の祭事。まことに面白い、今日の賑わいであることよ。

この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『荻江節正本』の本文(著作権消滅)により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方〔合〕の指示は省いた。

原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた箇所が多い。

〔ハル〕〔カン〕〔ギン〕〔ギンガハリ〕〔三ノギン〕〔二ノギン〕〔大カン〕〔ハシル〕〔ツヅミウタ〕〔歌カン〕〔ヲドリ〕はいずれも原典に記された節付けの指示。段の頭に置いて残した。原典に「力ン」とあるのは「カン」の誤りと見て改めた。

〔鶴二 せりふ〕〔初五郎・松助 出〕は原典に記された演者の指示。

「花山車」は祭礼に引き出す飾り物の山車。「警固の衆」は行列を警固する者。「赤坂奴」は江戸の祭礼の付祭に出る奴の一団。

「濃茶」と「薄茶」に、仲の濃い薄いを掛ける。「水さしや」は水指と、仲を邪魔することを掛ける。

「口切り」は秋に摘んで詰めた茶壺の封を切る茶事。冬の初めの行事で、茶人の正月ともいわれる。

「情け薄」と「薄茶」を掛ける。

「耆婆」は古代インドの名医。その息女が没した跡から茶の木が生えたという茶祖伝説による。「茶」の字を廿・人・木に分けて解く語呂合わせが続く。

「二八盛り」は十六歳。「文月」に「文(手紙)」を掛ける。「奈良団扇」は奈良の名産の透かし彫りの団扇。

「十寸鏡」は曇りのない澄んだ鏡。「曇らず」から「澄み」を経て「住の江」へ掛かる。

「荻江節」は長唄から分かれた座敷唄。この曲は長唄としても伝わる。

「しやんとこぎりめに」「濃茶のはな」「はや候べくに」は語義が定かでないため原典のままとした。原典に「お手紙じゝじつとも控へた」とある箇所は、重ねの一字を衍字と見て「じつとも」とした。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。