藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

山賎(七変化)やまがつ(しちへんげ)

長唄  本名題『雛祭神路桃』  作詞者・作曲者・初演年不詳

山賎(七変化) 山路の竹杖と滝
山路の竹杖と滝

七変化の山賎の段。菊の水は薬というめでたい謡から起こし、老いを養う滝川の眺め、山時鶏のもう一声を聞きたいと休らう姿を描く。重い荷に肩を貸し、さやけき月に影を映して、八十の波の花も咲き返る山路をそろそろとたどってゆく。後半は「わしが若いときゃな」と俗謡に転じ、どんな難所も千里一飛びだったのに今は杖がなければならぬと笑い、我が庵へ帰ろうと納める。

あらすじ

実や、薬と菊の水。同じ流れは遠近の、老いを養う滝川の。眺めはいずれ面白や。しばし休らい居たりしが。山時鶏、音づれて、いま一声の聞かまほし。休む重荷に肩を貸し、さやけき月に影映す。八十の波の花も咲き返る山路を、漸々に、そろそろとたどり、たどりて歩み行く。わしが若いときゃな、なんなん難所の山でも、いかなる海川なりとも、ほんに、ほんに千里一飛び。今では——さりとは、さりとは、杖がなければならねえ、ならねえ。今は帰らん、我が庵へ。

詞章と現代語訳

〔三下り〕〔一中ブシ〕

実や薬と菊の水〔上〕おなじ流は遠こちの老を養ふ瀧川の。詠めはいづれ面白や。しばし休らひゐたりしが。山ほとゝぎす。音づれて。いま一声の。きかまほし休むおも荷に肩をかし。さやけき月に影移す八十の波の花も咲帰る〔七ツユリギン〕山ぢを漸々に。そろそろとたどりたどりてあゆみ行

実や、薬と菊の水。同じ流れは遠近の、老いを養う滝川の。眺めはいずれ面白や。しばし休らい居たりしが。山時鶏、音づれて、いま一声の聞かまほし。休む重荷に肩を貸し、さやけき月に影映す。八十の波の花も咲き返る山路を、漸々に、そろそろとたどり、たどりて歩み行く。

わしが若いときやな。なんなん難所の。山でも〔合〕いかなる海川なりとも。ほんにほんに千里一とび。今では〔ギンガハリ〕さりとはさりとは杖がなければならねへならねへ今は帰らん〔ヲトシ〕わが庵へ

「わしが若いときゃな、なんなん難所の山でも、いかなる海川なりとも、ほんに、ほんに千里一飛び。今では」——さりとは、さりとは、杖がなければならねえ、ならねえ。今は帰らん、我が庵へ。

この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『歌撰集』の本文(著作権消滅)により、章句・合方の記号は原典のまま段の頭や途中に残し、繰り返し記号は読みやすく展開した。繰り返し記号はいずれも直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。

原典は総かな書きの部分が多いため、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。

本名題は『雛祭神路桃』(ひなまつりかみじのもも)。七変化のうちの一曲で、ほかに傾城・官女・山賎・布曝・春駒・杜若・槍踊がある。

「薬と菊の水」は菊慈童の伝説による。菊の露を飲んで長寿を得たという故事で、老人の役の曲によく引かれる。

「八十の波」は八十歳に多くの波を掛ける。「花も咲き返る」は老いてなお盛んなさま。

語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「なんなん難所」(「何なん」とも「難々」とも読める)。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。