山姥やまんば
常磐津 本名題『薪荷雪間の市川』 別題『新山姥』『市川山姥』 作詞者・作曲者・初演年不詳

足柄山。山賤に身をやつした武士が、山中に住む山姥と怪童丸の母子に出会う。四季の山めぐりを語ったのち、怪童丸が松を根こぎにして力を見せ、坂田金時と名乗ることを許される。母子の別れを経て、猪熊入道の一味を蹴散らして結ぶ。
あらすじ
四面が峨々とそびえる足柄山。麓に通う椎が本、巌に染まる蔦かずら。主君の命を受けた武士が、曲げた肱を枕に一瓢の楽しみ、その眠りを覚ます山颪。山は高く、雲は行く人の跡を埋める。命を受けてこのごろは、こうして山賤に姿を変え、深山幽谷をいとわず、行き当たりばったりの気ままな酒。眠気覚ましにどりゃ一杯やるべいか——量りもなく注ぐ盃に映るのは星の影。ああ怪しや、客星がここに。わが盃の中に影が差すのは、さてはひとかどの人傑がこの山中にあるという天の知らせか。ははあ、これで読めた。心当たりは山住みの女が連れる、いつもの子蔵よ。どりゃ一服喫んで待つべいか。錦の袂を引きかえて、木の葉衣を露霜に染めて明けるという山姥が、岩間の苔清水のほとりを、心細い道をたどりたどり、杖を力に歩んで来る。おお母さま、今日はまだお会いしませぬの。おお山賤のよき蔵どの、また焚火のご馳走をしましょうわいのう。それはかたじけない、ときに子蔵はどうしましたな。さればいの、あとの麓まで連れ立って来ましたが、大方は猪や猿を相手に相撲でも取っておりましょうわいな。それは危ない、早くここへ呼ばっせえ。あれあれご覧じませ、あのように大きな石を持ち遊んで、怪我でもしたらどうしようと思やるぞ。道草にも程がある、こりゃ怪童丸——おおう。神楽月とて片山里を、笛や太鼓で面白や。子をとろ子をとろ、籠の中の鳥はいついつ出やる、夜明けの晩に——と唄いながら、木の根笹原をくぐりくぐって、ひょいと出た稚児。母を慕って山道を尋ね来て、木咲の梅の花。かか、おらこんな花を折って来たよ。花を打とうと振り立てる、悪戯盛りの愛らしさ。やれ子蔵、よく帰って来たな。さあさあ、いつもの通り小父さまへお辞儀じゃ。かか様、何ぞくだされや。おとなしく遊んでおいでだったその褒美に、この間から衣を織って着せようと思うてな——五百機立てる窓の内、枝の鶯、糸繰り綿繰り、織って着せる母の心づくし。里へ下れば里の土産はでんでん太鼓に振り鼓。打つや空蝉の唐衣、千声万声の砧に合わす鼓の拍子。さあこれからが馬事じゃ。どれどれ、俺の好物を貸してやろう、この鉞を馬にして。母が囃してやりましょう。月毛ならぬ斧の駒、取るや手綱の凛々しさよ。先のけ先のけ。お月さまいくつ、十三七つ。お供はいくつ、八十八つ。ほんにそりゃ若いなあ。母の胎内を蹴破って、産所も産湯も山なれば、取り上げの婆にも事を欠き、産湯の代わりに四方の赤を浴びせられたか、どこもかも真っ赤になって——と踊りの口説き。かか様、乳呑もう。乳呑みたいと足摺りするのは頑是ない子の習いか。ではこれから、いつもの山めぐりの話をして聞かせましょうぞや。昔語りも恥ずかしい、ありし姿もどこへやら。瀧に髪を洗い、若葉を見ては春を知り、妻恋う鹿の音を聞いて秋と思い、深山路を明日も明日もと山めぐり。四季の眺めもいろいろに——浮き立つ空の弥生山、桃が笑えば桜がひぞる、柳は風の応えよう。誰を待つやら小手招く。霞の帯の辛気らしさ、締めて手と手の盆踊り。梶の葉に露の玉章を書きそめて、焦がれて濡らす袖の梅、つい誑されて室咲きの梅の暦もいち早く。門に松が立てば雛も出るかと思ううちに時鳥、菖蒲を葺く間に盆の月、待宵を過ぎて菊の宴、はや祝月の里神楽——ほんに忙しい浮世も我も、白雪積もる山めぐり。ほほう、このごろより心をつけて窺うところ、さては柔弱非力を悔やんで横死を遂げた坂田の蔵人の妻子が、この山中に籠もると聞いたが、もしや二人は。いかにも、その坂田の家を起こさんと山神へ祈誓をかけ、そうしてもうけたこの怪童。さてこそわが推量に違わず、時行の妻子であったな。それにしても女に稀なるその志。その丹誠に山神の加護、倅の勇力もさぞあろう。力の程が見たい。こりゃ怪童、大切なところじゃ負けまいぞ。神変不思議の怪童丸、こちらもあしらう勇力の士。怪童はいらだって傍らの松を根こぎに引き抜き、にっこり笑って立った姿は、人も恐れるばかりである。松の根こぎとは面白い、さあ打って来い怪童丸。打ちかかれば身をかわし、すかさず強気の力瘤。幹より腕の節くれ立つほどしっかと掴めば、めりめりと。えんやえんやと捻り合ううち、中からやっと捻り切って左右へ分かれて立った姿は、目覚ましいことであった。ほお、力の程は見えた。今からは頼光公の家臣とし、父の家名をそのままに坂田の金時と名乗らせよう、喜べ。ははあ、有難や、かたじけなや。こりゃ怪童、今日から坂田の金時という武士になるのじゃが嬉しいかや。そんなら俺は武士になるのか、嬉しい嬉しい。さりながら今別れれば、この母にもう逢うことはならぬぞや。夫の形見と見るにつけ、そなたの大事さ大切さ。今日別れれば今宵より、母は独り寝の閨の内、さぞ面影が懐かしかろう。頼光公へのご奉公、務める暇の明け暮れに武術を励み立身せよ。かならず人さまに山姥が子と笑われな。今別れるともこの母が、そなたの影身に付き添うて、なお行く末を守るであろう——とは言うものの、これがまあ名残惜しや、いとおしやと抱き上げ抱きつき、思わずわっと上げた一声が木霊に響いて哀れである。こうしては果てじと怪童丸、お頼み申すはこのとおり、名残は尽きじ、早おさらば。暇を申して帰る山の峰の梢も白妙は、源氏の栄えの尽きることなく、守る神垣は妄執の雲の塵が積もって山姥となった。山また山に山めぐりして、行方も知れなくなったのであった。かかるところへ猪熊入道が手勢を引き連れて馳せ来たり、怪童丸を見るより——正盛公の上意を受け、汝を味方に抱えようと出かけて見れば、さてこそ源氏へ引き取られたな。知れたことだ、怪童丸はたった今、頼光公へ推挙した。奉公始めにこいつらを引き括って君へのお土産だ、怪童ぬかるな。さあ弱虫奴ら、みな一度に来い。何を猪口才な、者ども、それ——やらぬと組みつく手の者を、一度に掴んで礫のように投げる。かつ色を見せる金時が、真っ先にかける冬至梅。一陽来復の智勇の花、歌舞伎の栄えこそめでたい。
詞章と現代語訳
四面峨々たる足柄山、麓にかよふ椎が本、巌に染まる蔦かづら、君命うけて壮夫が
四面が峨々とそびえる足柄山。麓に通う椎が本、巌に染まる蔦かずら。主君の命を受けた武士が。
曲れる肱の高枕、実に一瓢の楽しみの、眠りを覚す山颪
曲げた肱を枕の高枕。まことに一瓢の楽しみよ。その眠りを覚ます山颪。
山高うして雲行客の跡を埋む、君命うけて此日頃、斯く山賤と態を変へ、深山幽谷嫌ひなく、往くなり次第の気儘酒、眠た覚しにドリヤ一杯やるべいか
山は高く、雲は行く人の跡を埋める。主君の命を受けてこのごろは、こうして山賤に姿を変え、深山幽谷をいとわず、行き当たりばったりの気ままな酒。眠気覚ましに、どりゃ一杯やるべいか。
酒量りなきなき盃杯に、注げばうつらふ星の影
酒は量りもなく、その盃に注げば映るのは星の影。
アアラ怪しやナア、客星爰にたんたくなし、我が盃中に影さすは、さては一定人傑の、此山中に有といふ、天の知せか何にもせよ奇異なる事を見る物ぢやナア、ハハアこれでよめた、心当りは山住の、女がつれるいつもの子蔵、ドリヤ一服喫で待べいか
「ああら怪しやなあ。客星がここに。わが盃の中に影が差すのは、さてはひとかどの人傑がこの山中にあるという天の知らせか。何にもせよ奇異なことを見るものじゃなあ。ははあ、これで読めた。心当たりは山住みの女が連れる、いつもの子蔵よ。どりゃ一服喫んで待つべいか」
錦の袂引き変へて、木の葉衣を露霜に、染めてあけろの山姥と、人や岩間の苔清水、心細道たどたどと、杖に力に歩みくる
錦の袂を引きかえて、木の葉衣を露霜に染めて明けるという——人は山姥と呼ぶ。岩間の苔清水のほとりを、心細い道をたどりたどり、杖を力に歩んで来る。
ヲヲ阿母今日はまだ逢ませぬの
「おお母さま、今日はまだお会いしませぬの」
ヲヲ山賤のよき蔵殿また焚火の御馳走しませうわいのう
「おお、山賤のよき蔵どの。また焚火のご馳走をしましょうわいのう」
夫は恭謝ねへ、ときに子蔵はどうしましたな
「それはかたじけねえ。ときに子蔵はどうしましたな」
さればいの、あとの麓まで連立つて来ましたが、大方猪猿を相手に、相撲がなとつて居ませうわいな
「さればいの。あとの麓まで連れ立って来ましたが、大方は猪や猿を相手に相撲でも取っておりましょうわいな」
それは危ない早く爰へ呼ばつせへよばつせへ
「それは危ない。早くここへ呼ばっせえ、呼ばっせえ」
ほんにマアおとましい事ではあるぞいのう
「ほんにまあ、気の揉めることではあるぞいのう」
アアおとましとかこち言、夫と見付けて
ああ、気が揉めるとかこつ言葉。それと見つけて。
あれあれ御覧じませ、あのやうき大きな石を持あそんで、怪我でもしたらどうせうと思やるぞ、道草も程がある、コリヤ快童丸かいどうまるヤイ
「あれあれご覧じませ。あのように大きな石を持ち遊んで、怪我でもしたらどうしようと思やるぞ。道草にも程がある。こりゃ怪童丸、怪童丸、やい」
ヲヲオ
「おおう」
神楽月とて片山里を、笛や太鼓で面白や、足の冷たいに草履買てたもれ、子をとろこをとろ、どの子が目つきあとの子が目つき、籠めこめ籠の中の鳥はいついつ出やる、夜明のばんに、つるつるつるつつはいた、木の根笹原くぐりくぐつて、ひよいと出た稚子
神楽月とて片山里を、笛や太鼓で面白や。足が冷たいに草履買うてたもれ。子をとろ子をとろ、どの子が目つき、あとの子が目つき。籠め籠め、籠の中の鳥はいついつ出やる、夜明けの晩に——と唄いながら、木の根笹原をくぐりくぐって、ひょいと出た稚児よ。
コレコレ怪童早うおぢやいのふ
「これこれ怪童、早うおいでいのう」
アイ
「あい」
母を慕ふて山道を、尋ね木咲の梅の花よき
母を慕って山道を尋ね来て、木に咲く梅の花のよきことよ。
かかおら斯麼花折つて来たよ
「かか、おらこんな花を折って来たよ」
花うちせうと振たてて悪戯盛りの愛らしき
花を打とうと振り立てる、悪戯盛りの愛らしさよ。
ヤレ子蔵よく帰つて来たな
「やれ子蔵、よく帰って来たな」
ヲヲよふ戻つておぢやつたのう、サアサアいつもの通り、小父様へお辞儀ぢやお辞儀ぢや
「おお、よう戻っておいでだったのう。さあさあ、いつもの通り小父さまへお辞儀じゃ、お辞儀じゃ」
ヲヲお辞儀がよく出来ましたかな
「おお、お辞儀がよくできましたかな」
かか様何ぞ下されや
「かか様、何ぞくだされや」
温順しう遊んでおぢやつた其褒美に、此間からあつかの衣織りて著せうと思ふてな、山路廻らぬ其閑に、五百機立る窓の内、枝の黄鳥糸繰り綿繰り織りて著せたる母の奔走子、里へ下れば里の土産はでんでん太鼓にふり鼓、打つや空蝉のから衣、千声万声の砧に合す鼓の拍子
「おとなしく遊んでおいでだった、その褒美に、この間から衣を織って着せようと思うてな」——山路をめぐらぬその暇に、五百機を立てる窓の内。枝の鶯、糸繰り綿繰り、織って着せる母の心づくし。里へ下れば里の土産はでんでん太鼓に振り鼓。打つや空蝉の唐衣、千声万声の砧に合わせる鼓の拍子。
面白や
面白や。
サア是からが馬事ぢやうまごとぢや
「さあ、これからが馬事じゃ、馬事じゃ」
ドレドレ俺が好物を貸てやらう、此鉞刀を馬にして
「どれどれ、俺の好物を貸してやろう。この鉞を馬にして」
母が囃してやりませう
「母が囃してやりましょう」
月毛にあらぬ斧の駒、とるや手綱の凛々しげに
月毛ならぬ斧の駒。取るや手綱の凛々しさよ。
先のけさきのけ先のけろ
「先のけ、先のけ、先のけろ」
お月様いくつ
「お月さまいくつ」
十三七つ
「十三七つ」
お供はいくつ
「お供はいくつ」
八十八つ
「八十八つ」
ほんにそりや若いなア
「ほんに、そりゃ若いなあ」
母の胎内蹴破つて
母の胎内を蹴破って。
産所も産湯も山なれば、取上お婆に事を欠き、産湯の替りに四方の赤、浴せられたかどつこもかも、真赤くなつて北嵯峨の、踊りのくどきは
産所も産湯も山なれば、取り上げの婆にも事を欠き、産湯の代わりに四方の赤を浴びせられたか。どこもかも真っ赤になって——北嵯峨の踊りの口説きは。
何と言た
「何と言うた」
おらが在所はな、奥山のててうちのでんぐりでんぐり、栗の木の根を枕に御座れ抱て転寐
「おらが在所はな、奥山のててうちのでんぐりでんぐり。栗の木の根を枕にござれ、抱いて転た寝」
かか様乳呑まう
「かか様、乳呑もう」
乳呑みたいと足摺は頑是なき子の習ひかや
乳を呑みたいと足摺りするのは、頑是ない子の習いであろうか。
コレハしたりどうしたもの、サアサア是からまたいつもの山廻りの話をして聞かせませうぞや
「これはしたり、どうしたもの。さあさあ、これからまたいつもの山めぐりの話をして聞かせましょうぞや」
なに山廻りの話
「なに、山めぐりの話」
コイツは面白からうはへ
「こいつは面白かろうわい」
何のいなア昔語りも恥かしいありし姿も何処へやら、むめうの瀧に髪洗ひ、若葉を見ては春を知り、妻恋ふ鹿の音を聞きて、秋と思ふて深山路をあしたあしたの山廻り
「何のいなあ、昔語りも恥ずかしい。ありし姿もどこへやら」——瀧に髪を洗い、若葉を見ては春を知り、妻恋う鹿の音を聞いて秋と思い、深山路を明日も明日もと山めぐり。
よしあし曳の山廻り
よしあし引きの山めぐり。
四季の詠めもいろいろに
四季の眺めもいろいろに。
浮立つ空の弥生山、桃が笑へば桜がひぞる、柳は風の応様
浮き立つ空の弥生山。桃が笑えば桜がひねる。柳は風への応えよう。
誰を待やら小手招く
誰を待つやら、小手をあげて招く。
霞の帯の辛気らし、締めて手と手の盆踊り
霞の帯の辛気らしさ。それを締めて、手と手の盆踊り。
七個の池に移気の、うらみ過しの梶の葉は、露の玉章落初めて
七個の池に移り気の、恨み過ごしの梶の葉は、露の玉章が落ちそめて。
焦れて濡す袖の梅、つい誑されて室咲の
焦がれて濡らす袖の梅。つい誑かされて、室咲きの。
梅の暦もいち早く
梅の暦もいち早く。
門に松たちやナンナつひ雛も、出るかと思へば沓手鳥、菖蒲葺く間に盆の月、待宵過て菊の宴、はや祝月里神楽、ほんにほんに忙しき浮世も我も、白雪積る山廻りやままはり
門に松が立てば、そのうち雛も出るかと思えば時鳥。菖蒲を葺く間に盆の月。待宵を過ぎて菊の宴。はや祝月の里神楽。ほんにほんに、忙しい浮世も我も——白雪積もる山めぐり、山めぐり。
ホホウ此程より心を付けて窺ふところ、扨は柔弱非力を悔やみ、横死を遂し坂田の蔵人が妻倅、此山中に籠ると聞しが若や二人は
「ほほう、このごろより心をつけて窺うところ——さては柔弱非力を悔やんで横死を遂げた坂田の蔵人の妻子が、この山中に籠もると聞いたが、もしや二人は」
いかにも其坂田の家を起さんと山神へ祈誓を懸け、則ちもうけし此快童
「いかにも。その坂田の家を起こそうと山神へ祈誓をかけ、そうしてもうけたのがこの怪童」
さてこそ我が推量に違はず時行が妻倅よな、さるにても女に稀なる志衷、その丹誠に山神の加護倅が勇力嘸あらん、力の程がみたいみたい
「さてこそ、わが推量に違わず時行の妻子であったな。それにしても女に稀なるその志。その丹誠に山神の加護もあろう、倅の勇力もさぞあろう。力の程が見たい、見たい」
おもちれへおもちれへ
「面白れえ、面白れえ」
コレコレ快童大切の所ぢや負けまいぞ
「これこれ怪童、大切なところじゃ。負けまいぞ」
ヲヲ合点だ
「おお、合点だ」
神変不思議の快童丸、此方あしらふ勇力士、快童いらつて傍なる松を根こぎに引抜き、莞爾と笑つて立たりしは、人も恐るる計りなり
神変不思議の怪童丸。こちらもあしらう勇力の士。怪童はいらだって傍らの松を根こぎに引き抜き、にっこり笑って立った——その姿は、人も恐れるばかりであった。
松の根こぎ面白い、サア打つて来い快童丸
「松の根こぎとは面白い。さあ打って来い、怪童丸」
合点だ
「合点だ」
打つて掛れば身を換し、すかさず強気の力瘤、幹より腕の節くれて、しつかと抓めばめりめりめり
打ってかかれば身をかわし、すかさず強気の力瘤。幹よりも腕の節が太く盛り上がり、しっかと掴めば、めりめりめりと。
ゑんやゑんやと捻合ひしが、中よりやつと捻切つて、左右へ分れて立たりしは、目覚しかりける次第なり
えんやえんやと捻り合ううち、中からやっと捻り切って、左右へ分かれて立った——その姿は目覚ましいことであった。
ホヲ力の程は見えたみえた、今よりしては頼光公の家臣となし、父が家名を其儘に、坂田の金時と名乗らせん喜べよろこべ
「ほお、力の程は見えた、見えた。今からは頼光公の家臣とし、父の家名をそのままに坂田の金時と名乗らせよう。喜べ、喜べ」
ハハア有難や恭謝なや、コリヤ快童今日から坂田の金時といふ武士に成のぢやが嬉しいかや
「ははあ、有難や、かたじけなや。こりゃ怪童、今日から坂田の金時という武士になるのじゃが、嬉しいかや」
そんなら俺は武士に成のか嬉しいうれしい
「そんなら俺は武士になるのか。嬉しい、嬉しい」
さり乍ら今別るれば此母に、もう逢ふ事はならぬぞや、コレ快童爰へおぢや
「さりながら、今別れればこの母にもう逢うことはならぬぞや。これ怪童、ここへおいで」
夫の形見と見るにつけ、其方の大事さ大切さ、今日別るれば今宵より、母独寐の閨の内、嘸面影の懐かしかろ、頼光公への御奉公、つとむる暇の旦暮に
夫の形見と見るにつけ、そなたの大事さ大切さ。今日別れれば今宵より、母は独り寝の閨の内、さぞ面影が懐かしかろう。頼光公へのご奉公、それを務める暇の明け暮れに。
武術を励み立身せよ、かならずかならず人様に
武術を励み、立身せよ。かならず、かならず人さまに。
山姥が子と笑はれな、今別るるとも此母が
山姥が子と笑われるな。今別れるとも、この母が。
其方の影身に付添ふて、尚行末を守るべし、とは言ものの是がマア
そなたの影身に付き添うて、なお行く末を守るであろう——とは言うものの、これがまあ。
名残惜しやいとおしやと、抱きあげ抱きつき、思はずわつと一声が、木霊に響きて哀れなり
名残惜しや、いとおしやと抱き上げ抱きつき、思わずわっと上げた一声が木霊に響いて哀れである。
斯ては果じと快童丸、お頼み申すは仕様、名残は尽じ早おさらば
こうしては果てじと怪童丸。「お頼み申すは、このとおり。名残は尽きませぬが、早おさらば」
いとま申して帰る山の
暇を申して帰る、その山の。
峰の梢も白妙は、源氏の栄へ尽しなき、まもる神がきは妄執の雲の塵積つて山姥となれり、山又山に山廻りして行方も知らずなりにけり
峰の梢も白妙となる——源氏の栄えは尽きることなく、それを守る神垣。だが妄執の雲の塵が積もって山姥となり、山また山に山めぐりして、行方も知れなくなったのであった。
斯るところへ猪熊入道手勢引連れ馳来り、快童丸を見るよりも
かかるところへ猪熊入道が手勢を引き連れて馳せ来たり、怪童丸を見るより。
正盛公の上意を請け、汝を味方にかかへんと、出掛けて見れば三田の仕、扨こそ源氏へ引取つたな
「正盛公の上意を受け、汝を味方に抱えようと出かけて見れば——さてこそ源氏へ引き取られたな」
知れた事だ快童丸はたつた今、頼光公へ推挙したは、奉公始めに此奴等を、引括つて君へお土産、快童ぬかるな
「知れたことだ。怪童丸はたった今、頼光公へ推挙した。奉公始めにこいつらを引き括って君へのお土産だ。怪童、ぬかるな」
サア弱虫奴ら皆一度に来いこいこい
「さあ弱虫奴ら、みな一度に来い、来い」
何猪口才な、者共それ
「何を猪口才な。者ども、それ」
やらぬと組付く手の者を、一度につかんで礫投げ、かつ色見する金時が、真先かける冬至梅、一陽開く智勇の花、歌舞伎の栄へぞ目出度けれ
やらぬと組みつく手の者を、一度に掴んで礫のように投げる。かつ色を見せる金時が、真っ先にかける冬至梅——一陽来復に開く智勇の花。歌舞伎の栄えこそめでたい。
この曲は常磐津。詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第四編 常磐津集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。
本名題は『薪荷雪間の市川』。別題を『新山姥』『市川山姥』という。作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。
足柄山の山姥と怪童丸(のちの坂田金時)の話。当ライブラリの長唄『四季の山姥』も同じ山姥ものだが別の曲で、あちらは山姥が遊女八重桐であった昔を語るのが中心、こちらは怪童丸の力比べと母子の別れが眼目になる。
山賤に身をやつしているのは源頼光の家臣。怪童丸の力を見きわめて坂田金時と名乗らせ、頼光の四天王に加える。
「客星」は普段は見えない星。ここでは盃の酒に映る影を、山中の人傑を告げる天の知らせと見る。
「子をとろ子をとろ」「籠の中の鳥はいついつ出やる」はいずれも子どもの遊び唄。怪童丸の登場を子どもらしく彩る。
「お月様いくつ、十三七つ」も童唄。
「五百機立る窓の内」は多くの機を立てて布を織ること。山姥が我が子のために衣を織る。
後半の四季の山めぐりの段は、春の弥生山から梶の葉(七夕)、菖蒲、盆の月、菊の宴、里神楽、そして白雪へと一年をめぐる。
「一陽開く」は一陽来復。冬至を境に陽が戻ることをいい、直前の「冬至梅」を受ける。
次の語は語義が定めがたく、推測で埋めず原典のまま残した。「たんたくなし」「あけろの山姥」「あつかの衣」「奔走子」「四方の赤」「奥山のててうちのでんぐりでんぐり」「むめうの瀧」「よしあし曳」「七個の池」「ナンナつひ雛」「三田の仕」。子どもの唄や囃子詞に由来するものが多いと思われる。
「猪熊入道」「正盛公」は平家方として置かれた役どころ。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。