土蜘つちぐも
作詞者・作曲者・初演年不詳 松羽目物 能『土蜘蛛』による

病に伏す源頼光のもとへ、夜更けに童の姿をした化生が現れる。子供遊び尽くしの問答でなごませておいて、不意に寝所を襲う。渡辺綱と坂田公時が防ぎ、化生は切髪を残して消え失せる。
あらすじ
浮き立つ雲の行方は風の心にまかせるほかない。ここに消え、かしこに結ぶ水の泡のように、浮世をめぐる身であることよ。人知れぬ心は重く、恨む方もない袖を片敷いて侘びる夜詰め——多田の御所では武将源頼光公が病に伏し、手を尽くした看病も甲斐なく、鬼をもあざむく武士たちが思いに沈んでいる。小夜嵐が身にしみるほど物凄く、宿直の武者が眠気覚ましに煙管をとる。折しも丑三つ時、しんしんと更けわたる夜に、切禿の京人形のような童が現れ、ちょこちょこと歩み寄って茶を差し出す。優しい童よ、そなたは誰の子かと問えば、月の澄む軒端にかかる笹蟹のような、あるかなきかの身と答える。お月様いくつ、十三七つ——雲がかかれば風が吹き払う。凧の糸が伸びて天となり、切れて落ちれば地となる。隠れんぼの始まりは天の岩戸、雛の祭は嫁入りの手習い、幟や菖蒲刀は武芸の始め。赤貝馬をしゃんしゃんと乗りこなし、上手が乗ったかと囃すうち、化生はたちまち頼光の寝所を目がけて襲いかかる。公時と貞光が袖袂で支え止めるが、ここに現れかしこに失せる自在の振舞。刀を抜き連れて払えば、突き止めるいとまもなく、切髪を残して姿は消え失せたのであった。
詞章と現代語訳
浮きたつ雲の行衛をや、浮きたつ雲の行衛をや、風の心にまかすらん
浮き立つ雲の行方は——ただ風の心にまかせるほかないのであろう。
爰に消し彼処に結ぶ水の泡の
ここに消え、かしこに結ぶ水の泡のように。
浮世にめぐる身にこそありけれ
この浮世をめぐりゆく身であることよ。
実にや人知れぬ、心は重き小夜衣の、恨みん方もなき袖を
まことに人知れぬ心は重く、小夜衣のようにその重さを負って——恨みようもない袖を。
片敷きわぶる御夜詰めは、君が守護なす両勇士、実に唯ならぬ多田の御所
袖を片敷いて侘びる夜詰めの守り——主君を守護する二人の勇士。まことにただならぬ気配の、多田の御所である。
武将源の頼光公、御心地例ならず、医祷百計たゆみなく、取々さまざまと意労尽して夜昼の、界も知らぬ粧の、心尽しに身をせめて、鬼をあざむく武夫の、思に沈むばかりなり
武将源頼光公はご病気が常ならず、医薬も祈祷もあらゆる手を尽くし、あれこれと心を砕いて、夜と昼の境も分からぬありさま。心尽くしに身を責めて、鬼をもあざむくほどの武士たちが、ただ思いに沈むばかりである。
小夜嵐身に入る程に物凄く、宿直の武者も扨こそと、眠気覚しに取る煙管、火皿の煙立登る、折しも丑三つ頃にしんしんと、更け渡る夜も烏羽玉の
小夜嵐が身にしみるほど物凄く、宿直の武者もさてはと身構える。眠気覚ましに取る煙管、火皿の煙が立ちのぼる。折しも丑三つ時、しんしんと更けわたる、烏羽玉の夜——。
切禿都育ちの京人形
切禿の髪をした、都育ちの京人形のような童が。
ちよこちよこ歩む後紐、お茶の通ひのにこにこにこと
ちょこちょこと歩む後ろ紐。お茶を運びながら、にこにこにこと。
合点合点しほのめかぶり振り振りふらぬ間に、摘みて置けとは
合点、合点と頷いて、かぶりを振り、振り、振らぬうちに——摘んでおけとは。
拇の尾山の、春の若草茶の木の事よ
親指ならぬ尾山の、春の若草——それは茶の木のことであるよ。
ちやちやに浮してやつこの、ちやちやに浮してやつこの、此の茶参ろと差し出す
ちゃちゃに浮かせて、やっこの——さあこのお茶を召し上がれと差し出す。
偖も優しき童と、顔しげしげと打詠め、そは誰人の子なるぞや
「さても優しい童よ」と、その顔をしげしげと眺めて——「そなたは誰の子であるか」。
月の澄む軒端にかかるささ蟹の、ありやなしやの身を如何に
「月の澄む軒端にかかる笹蟹——あるかなきかのこの身を、どうお尋ねになりましょう」。
其の月の数覚えばか
「ではその月の数を覚えているか」。
さればいな
「さようでございますね」。
お月さまいくつ
「お月さまいくつ」。
十三七つ
「十三、七つ」。
雲かかれば
「雲がかかれば」。
風をもつて吹払う
「風をもって吹き払う」。
大千世界はさて如何に
「では大千世界はどうか」。
オヽ夫れこそは凧
「おお、それこそは凧」。
清くすめるに誑かされて、伸ばせば伸ぶる糸筋の、棚引き登つて天となり
清く澄んだ空にたぶらかされて、伸ばせば伸びる糸筋が、たなびき登って天となり。
切れて落つれば
「切れて落ちれば」。
地と成りぬ
「地となる」。
又隠れん坊の始りは
「では隠れんぼの始まりは」。
遠つ神代のその昔
「遠い神代のその昔」。
天の岩戸にかくれんぼ
「天の岩戸に隠れんぼ」。
今に伝へて神国の
「今に伝えて、この神の国の」。
子供遊となりにけり
「子供の遊びとなったのである」。
雛の祭は
「では雛の祭は」。
嫁入りの手習
「嫁入りの手習い」。
幟甲や菖蒲打ち、しやうぶ刀は如何に、しやうぶ刀は如何に
「では幟や甲、菖蒲打ち、菖蒲刀はどうか、菖蒲刀はどうか」。
夫れは武芸の始なり、駒の手綱をこれこれかう取つて
「それは武芸の始めである。駒の手綱をこれこれ、こう取って」。
赤貝馬のしやんしやんしやん、しやんと乗つては手綱かいくりかいくり、轡の音はりんりんりん
赤貝馬のしゃんしゃんしゃん。しゃんと乗っては手綱をかいくり、かいくり。轡の音はりんりんりん。
天晴お馬の
「あっぱれお馬の」。
上手と
「上手と」。
上手が
「上手が」。
乗つたか
「乗ったか」。
乗つたぞ
「乗ったぞ」。
しとしとしと
しとしとしと。
それそれそれと
それ、それ、それと——。
化生は忽ち頼光の、寐所を目がけ入らんとす
化生はたちまち頼光の寝所を目がけて襲いかかろうとする。
こわ心得ずと公時貞光、ささへ止むる袖袂、かいくぐりかいくぐり
これは容易ならぬと、公時と貞光が袖袂で支え止める。その手をかいくぐり、かいくぐり。
此処に現れ彼処に失せ
ここに現れ、かしこに失せ。
業通自在の其の振舞
自在の神通力さながらのその振舞い。
ヤア小癪なと無二無三に、一度に刀抜つれて払へば
「やあ小癪な」と無二無三に、一度に刀を抜き連れて払えば。
後に
あとには。
有明の突止めんにもゐもためず、ねらひもためず切髪の、姿は消えて失せにけり、姿は消えて失せにけり
有明の月の下、突き止めるいとまも、狙いを定めるいとまもなく——切髪を残して、その姿は消え失せたのであった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方〔合〕の指示は省いた。底本に「烏羽王」とあるのを、振り仮名「うばたま」に従い底本の注記どおり「烏羽玉」に改めた。
能『土蜘蛛』による松羽目物。病床の源頼光を土蜘蛛の精が襲い、渡辺綱・坂田公時らがこれを退けるという筋。この曲では化生が童の姿で現れ、子供遊び尽くしの問答で油断させておいて襲いかかる。
「多田の御所」は摂津多田の源氏の館。源満仲以来の本拠で、頼光の居所とされる。
「小夜衣」は夜着。「片敷く」は独り寝に袖を敷くこと。
「烏羽玉」は檜扇の実の黒いことから、黒や夜にかかる枕詞。
「切禿」は童女の、肩のあたりで切り揃えた髪型。
「笹蟹」は蜘蛛の古名。「ありやなしやの身」と名乗るのは、正体が土蜘蛛であることをほのめかす言葉遊び。
「お月さまいくつ、十三七つ」は童歌の文句。以下、凧・隠れんぼ・雛祭・幟・菖蒲刀・赤貝馬と、子供の遊びを次々に問答で連ねる。
「赤貝馬」は赤貝の殻を蹄に見立てて鳴らす子供の遊び。
「業通自在」は神通力が思いのままであること。
「切髪」は化生が斬られて残していった髪。土蜘蛛の正体を示す証拠となる。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。