藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

吾妻八景あずまはっけい

四世杵屋六三郎 作曲  文政十年(一八二七)頃

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吾妻八景 隅田川の情景
隅田川の情景

江戸の名所を八景になぞらえて詠み込んだ叙景の曲。舞踊を伴わない「お座敷長唄」の代表格で、三味線の技巧を尽くした合方が多く置かれる。

あらすじ

日本橋の初霞に始まり、雪の富士、御殿山の花、高輪の海辺、羽衣の松、浅草の宮戸川、隅田川の秋草、吉原の衣紋坂、そして不忍池の弁財天へ——江戸の名所を次々に巡り、最後は八つの名所を廻り見ようと結ぶ。地名と縁語・掛詞を隙間なく織り込んだ詞が身上。

詞章と現代語訳

〔本調子〕

実げにゆたかなる日ひの本もとの、橋はしの袂たもとの初霞はつがすみ、江戸紫えどむらさきの曙染あけぼのぞめや

まことに豊かなこの日の本の——その名も日本橋、その橋のたもとに立つ初霞。江戸紫に染まる曙の空よ。

水上みなかみ白しろき雪ゆきの富士ふじ、雲くもの袖そでなる花はなのなみ

川上に白く輝く雪の富士。雲を袖のようにたなびかせて、花が波のように連なっている。

御殿山ごてんやまなすひと群むれの、薫かをりに酔ゑひし園そのの蝶てふ、花はなの簪かんざしを垣間見かいまみに、青簾あをすだれの小舟こぶねうたふ小唄こうたの声こゑ高輪たかなはに

御殿山に群れ集う花見の人々。その香りに酔う園の蝶。花の簪をそっと垣間見ながら、青簾を掛けた小舟からは小唄の声が高く——その高輪の海辺に。

〔二上り〕

遥はるかあなたの

はるか彼方の。

時鳥ほととぎす初音はつねかけたる羽衣はごろもの、松まつは天女てんによの戯たはむれを、三保みほにたとへて駿河するがの名なある、台だいのよせいの弥高いやたかく、見みおろす岸きしの筏守いかだもり

時鳥が初音を響かせる。羽衣の掛かった松は、天女が舞い遊んだという三保の松原になぞらえて、駿河台という名の高台。そこから見おろす岸には筏を守る人の姿。

日ひを背負せおうたるあみだ笠がさ、法のりのかたへの宮戸川みやとがは、流ながれ渡わたりにいろいろの、花はなの錦にしきの浅草あさくさや

日を背に負って阿弥陀笠をかぶる——その阿弥陀の名から仏法の方へ、宮戸川へと移る。流れを渡ればさまざまな、花の錦のような浅草の賑わい。

御寺みてらをよそに流ながれ男をとこは、何地いづちへそれし矢大臣やだいじん、紋日もんびにあたる辻占つじうらの

浅草寺を尻目に、流れ歩く男はどこへそれていったのか——矢大臣の矢が的をそれるように。紋日に当たる辻占の。

松葉簪まつばかんざし二筋ふたすぢの、道みちに碑露ひつゆ踏ふみわけて、ふくむ矢立やたての隅田川すみだがは、目めにつく秋あきの七草ななくさに、拍子ひやうし通かよはす紙砧かみぎぬた

松葉のように二筋に分かれた簪——その二筋の道に、碑に置く露を踏み分けて。矢立に墨を含ませれば、その墨から隅田川へ。目にとまる秋の七草に、拍子を合わせて響く紙砧の音。

〔三下り〕

忍しのぶもじ摺ずり乱みだるる雁かりの玉章たまづさに便たよりを聞きかん封ふうじ目めを、きりの渡わたしに棹さをさす舟ふねも、いつ越こえたやら衣紋坂えもんざか

しのぶもじ摺りの模様のように心も乱れ、雁の便りに消息を尋ねよう。手紙の封じ目を切る——その「切り」から霧の渡し。棹さす舟もいつのまにか越えて、気づけば吉原の衣紋坂。

店清掻みせすががきに引ひき寄よせられて

店先で弾く清掻の音色に引き寄せられて。

つい居続ゐつづけの朝あさの雪ゆき、積つもり積つもりて情なさけの深ふかみ、恋こひの関所せきしよも忍しのぶが岡をかの、蓮はちすによれる糸竹しちくの調しらべゆかしき浮島うきしまの

つい居続けてしまった朝の雪。積もりに積もって深まる情。恋の関所も、忍ぶ——その忍岡(上野)の、蓮の糸に寄せる糸竹の調べもゆかしい浮島の。

かたなすもとに籠こもりせば

そのかたわらの庵にこもっていると。

楽がくの音ね共ともに東叡とうえいよりも、風かぜが降ふらする花紅葉はなもみぢ、手てに手て合あせて貴賎きせんの盟ちかひ、弁財天べんざいてんの御影みかげもる、池いけの辺ほとりの尊たふとくも、廻めぐりて見みん八やつつの名所めいしよ

楽の音とともに東叡山からも、風が降らせる花や紅葉。手に手を合わせて貴賤の別なく誓いを立てる。弁財天の御影が守る不忍池のほとりの尊さよ。さあ、めぐって見ようではないか、この八つの名所を。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。

「八景」は瀟湘八景・近江八景にならい、江戸の名所を八つ選んで詠む趣向。日本橋・御殿山・高輪・駿河台・浅草・隅田川・吉原・不忍池をめぐる。

地名と語を掛ける言葉遊びで全曲が続く。「声高く」→「高輪」、「あみだ笠」→「法(仏法)」、「矢立の墨」→「隅田川」、「切り」→「霧の渡し」など。

「江戸紫」は江戸で好まれた青みの紫。曙の空の色に掛ける。

「しのぶもじ摺り」は陸奥信夫の乱れ模様の摺り染め。伊勢物語の歌により、乱れる恋心をいう。

「矢大臣」は随身門の左右に安置される矢を負った武人像。「それる」に掛ける。

「店清掻」は遊女屋の店先で弾く三味線の調べ。

作曲年には諸説がある。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。