傾城(恋といふ)けいせい
長唄 変化物『拙筆力七以呂波』の内 別題『恋傾城』『芝翫傾城』 杵屋三郎助 述 作曲者・初演年不詳
/傾城(恋といふ)_投入の八重山吹と結び文.jpg)
「恋」という文字の姿を判じ物に、解けて思いの種となる——と起こす吉原の傾城の曲。仲の町の宵、花魁道中の素足の八文字、間夫に宛てた結び文、言えぬ心を言わせる八重山吹と、廓の恋の手管と誠を描き、痴話喧嘩から仲直りの鏡へ。後半は三下りに転じて、卯の花・時鳥の夏、水鶏にだまされる短夜、秋の三日月から二十日の月、雪の肌の薄化粧へと、四季を廓の恋に重ねてゆく。結びは通い慣れた廓を振り返る見返りの一本柳、時雨れ時雨れて——と納める。
あらすじ
「恋」という文字の姿を判じ物にすれば、解けて思いの種となる。鐘は上野か浅草か。その約束を待つ宵の、風も浮気な仲の町。根ごと掘り起こして植えた、初桜。移り気な色も香も、素足の八文字の歩みにとどめて。昨日の夢もそれなりに、袖にたたんで袂に忍ばせる、間夫に宛てた結び文。「かしく」と書いてはまた返すのも、筆に言わせる八重山吹を投げ入れた、床へ差し込む朧月。連子窓まで来て、空を行く雁に、ちょっと恨みを言い掛けて。言葉ももつれて胸尽くし。鶏の鳴く朝まで待たせておいて、どこの女郎めと、しげりくきって徒な。ええ、手管か洒落か、そんな、その。野暮な口舌は奥二階。禿が目配せで呑み込んで、気の利いたそぶりの宵の客。傾城の誠と雪に、黒いものはないものぞいの。まだ仇口を言わんすかと、ふっつりつねれば、振り切る腕。障子や襖に音を立てて、廊下をすべる上草履。櫛も簪もどこへやら。恋ゆえに争って、互いの思いは十寸鏡。のっぴきならぬ仲の戯れよ。風薫る、袂も軽い夏衣。干した衣の色かと見まがった、岸の卯の花が咲くにつけ、初音の待たれる時鳥。よいよい、よんやさ。あれ、閨の戸をほとほとと、叩く水鶏の声にだまされて。枕もとらずに待つ蚊帳のうち、明けて辛気な鵜飼舟。よいよい、よんやさ。秋の三日月は翳りもなく、晴れて逢う夜の月の顔。言うも恥ずかしい、二十日の月の残るのを、暁までも待ち明かす長月よ。雪の肌が面はゆく、霙か霜かの薄化粧。通い慣れた廓を見返れば、見返りの一本柳、時雨れ時雨れて。
詞章と現代語訳
『恋といふ、文字の姿を判じ物、とけて思の種となる、鐘は上野か浅草か、其の約束を待つ宵の、風も浮気な仲の町
「恋」という文字の姿を判じ物にすれば、解けて思いの種となる。鐘は上野か浅草か。その約束を待つ宵の、風も浮気な仲の町。
根ごして植えし
根ごと掘り起こして植えた——
初ざくら
初桜。
移り気な色も香も、とめて素足の八文字、昨日の夢も夫れなりに、袖にたゝんで袂に忍ぶ、間夫の名宛を結び文、かしくと書いて又かへすくも、筆に言はする八重山吹を投入の、床へさし込む朧月、櫺子まで来て行く雁に、ちよつと恨を言ひ掛かり
移り気な色も香も、素足の八文字の歩みにとどめて。昨日の夢もそれなりに、袖にたたんで袂に忍ばせる、間夫に宛てた結び文。「かしく」と書いてはまた返すのも、筆に言わせる八重山吹を投げ入れた、床の間へ差し込む朧月。連子窓まで来て、空を行く雁に、ちょっと恨みを言い掛けて。
言葉もつれて胸ずくし、鶏の鳴くまで待せて置いて、何処の女郎奴と、しげりくきつて徒な
言葉ももつれて胸尽くし。鶏の鳴く朝まで待たせておいて、どこの女郎めと、しげりくきって徒な——
エヽ手管か洒落かそんなその、野暮な口舌は奥二階、禿が目配のみこんで、味なそぶりの宵の客
ええ、手管か洒落か、そんな、その。野暮な痴話喧嘩は奥二階で。禿が目配せで呑み込んで、気の利いたそぶりの宵の客。
傾城の誠と雪に黒いはないものぞいの
傾城の誠と雪に、黒いものはないものぞいの。
まだ言はんすか仇口と、ふつつりつめれば振り切る腕
まだそんな仇口を言わんすかと、ふっつりつねれば、振り切る腕。
障子襖に音信れて、廊下をすべる上草履
障子や襖に音を立てて、廊下をすべる上草履。
櫛簪も何処へやら
櫛も簪もどこへやら。
恋にいさかふて、互に思の十寸鏡
恋ゆえに争って、仲直りには互いの思いを曇りなく映す十寸鏡。
わりなき仲の戯れや
のっぴきならぬ深い仲の、これも戯れよ。
『風薫る袂も軽き夏衣、干すてふ色と疑ふた、岸の卯の花咲くにつけ、初音またるゝ時鳥
風薫る、袂も軽い夏衣。干してある衣の色かと見まがった、岸の卯の花が咲くにつけ、初音の待たれる時鳥。
よいよいよんやさ
よいよい、よんやさ。
よいよいよんやさ
よいよい、よんやさ。
あれ閨の戸をほとほとと、叩く水鶏にだまされて
あれ、閨の戸をほとほとと。叩く水鶏の声に、あの人が来たかとだまされて。
枕もとらぬ蚊屋のうち、あけて辛気な鵜飼舟
枕もとらずに待つ蚊帳のうち。夜が明けて辛気な、鵜飼舟。
よいよいよんやさよいよいよんやさ
よいよい、よんやさ。よいよい、よんやさ。
秋の三日月くまもなく
秋の三日月は翳りもなく。
はれて逢ふ夜の月の顔
晴れて逢う夜の、月の顔。
いふも恥かし廿日の月の、残るを暁迄も待ち明す長月や
言うも恥ずかしい。二十日の月の残るのを、暁までも待ち明かす長月よ。
雪の肌の面はゆく、霙か霜のうす化粧通ひ廓を見返りの、一本柳しぐれしぐれて
雪の肌が面はゆく、霙か霜かの薄化粧。通い慣れた廓を見返れば、見返りの一本柳、時雨れ時雨れて。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。
変化物としての題は『拙筆力七以呂波』(にじりがきななついろは)。別題に『恋傾城』『芝翫傾城』。杵屋三郎助 述。作曲者・初演年は原典に記載がない。
繰り返し記号の展開について。「よいよいよんやさ」の次の段は原典が繰り返し記号のみなので、前段の全体を繰り返したと見た。また後に出る「よいよいよんやさ」に付く繰り返し記号も、その全体の繰り返しと見て展開した。どこまでをひとまとまりと見るかはこちらの判断による。
「鐘は上野か浅草か」は芭蕉の句「花の雲鐘は上野か浅草か」の言い回し。当ライブラリの「明の鐘」の結びにも同じ言い回しが出る。
「仲の町」は吉原の中央大通り。「素足の八文字」は花魁道中の歩み。「間夫」は傾城が真実に思う情人。「かしく」は女の手紙の結びの言葉。「禿」は傾城に付き添う少女。
「八重山吹」は「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」(後拾遺集。太田道灌の故事で知られる)により、口に出せぬ心を花に言わせる趣向。
「傾城の誠と雪に黒いはないものぞいの」は、「傾城に誠なし」と言われるのへの言い返し。傾城の誠も雪も、黒くはないものだ、の意。
「十寸鏡」(ますかがみ)は曇りなく映る鏡。「水鶏」は戸を叩くような声で鳴く夏の水鳥。「一本柳」は吉原大門外の見返り柳のこと。
語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「しげりくきつて」。「又かへすくも」は「返す文も」「返す句も」いずれとも読め、切り方が定めがたいので原典のまま残した。「干すてふ色と疑ふた」は、干してある白い衣の色かと見まがう意と解したが断じきれない。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。