藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

二人椀久ににんわんきゅう

本名題「其面影二人椀久」

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二人椀久 夢の再会
夢の再会

大坂の豪商・椀屋久兵衛が、傾城松山への恋に狂い、夢のなかで再会する狂乱物。実在の椀久の逸話に取材し、上方の情緒を色濃く残す。

あらすじ

恋に心を乱した椀久が、親の意見も耳に入らず廓へ向かおうとする。籠の鳥のように自由を失った身を嘆きながらまどろむと、夢のなかに松山が現れる。盃を交わし、口舌をかわし、伊勢物語の筒井筒を語り、按摩の物真似に興じ、二人連れ立って廓へ通う。花も実もある睦まじさのうちに、夢は蒲団の中へと溶けていく。

詞章と現代語訳

たどり行ゆく、今いまは心こころも乱みだれ候さふらふ

たどり行くうちに、今はもう心も乱れきってしまった。

末すゑの松山まつやま思おもひの種たねよ、あのや椀久わんきうはこれさこれさ打うちこんだ、兎角とかく恋路こひぢの濡ぬれ衣ぎぬ

末の松山——その名の松山こそが思いの種。あの椀久はこれこのとおり惚れこんでしまった。とかく恋の道には濡れ衣がつきもの。

〔二上り〕

ほさぬ涙なみだのしっぽりと

乾く間もない涙にしっぽりと濡れて。

身みに染しみ染じみと可愛かはいさの、それが嵩こうじた物狂ものぐるひ、とても濡ぬれたる闇やみなりやこそ

身にしみじみと感じるいとおしさ。それが嵩じての物狂い。どうせ濡れ事に迷った闇のなかであればこそ。

親おやの異見いけんもわざくれと、兎角とかく耳みみには入相いりあひの

親の意見も上の空。とかく耳には入らない——その「入り」から入相の。

鐘かねに合図あひづの廓くるわへ行ゆこやれ行ゆこやれ、さっさ行ゆこやれ昨日きのふは今日けふの昔むかしなり

その鐘を合図に廓へ行こうよ、行こうよ。さっさと行こうよ。昨日はもう今日から見れば昔のこと。

ぼん様さまぼん様ちとたしなまんせ、墨すみの衣ころもに身みはそみもせで

坊っちゃま、坊っちゃま、少しは慎みなさいませ。墨染の衣に身を染めるでもなく。

恋こひに焦こがるる身みは浮船うきふねの

恋に焦がれるこの身は、浮舟のように。

よるべ定さだめぬ世よのうたかたや、ゆかりぼうしの其そのひと節ふしに

寄る辺の定まらぬ世の泡沫よ。ゆかりの帽子の、そのひと節に。

知恵ちゑも容量ようりやうも皆みな淡雪あわゆきと

知恵も分別もみな淡雪のように。

消きゆるばかりの物思ものおもひ、ひとり焦こがるる独ひとり言ごと、恋こひしき人ひとに逢あはせてみや

消え入るばかりの物思い。ひとり焦がれてつぶやく独り言。どうか恋しいあの人に逢わせてくれ。

兎角とかく心こころの遣瀬やるせなき、身みの果はて何なんと浅あさましやと、暫しばしまどろむ手枕たまくらは、此頃このごろみするうつつなり

とかく心のやる瀬なく、身の果てはなんと浅ましいことかと、しばしまどろむ手枕。それは近ごろ夢と現のあわいに見る幻である。

〔夢〕

行ゆく水みづに、うつれば変かはる飛鳥川あすかがは

流れゆく水に映れば、昨日の淵は今日の瀬と変わる飛鳥川のように。

流ながれの廓くるわに昨日きのふまで

流れの身の廓に、昨日までは。

〔詞〕

ハテ

はて。

勿体もつたいつけたへ、誓文せいもんほんに全盛ぜんせいも、我われは廓くるわを放はなし鳥どり

まあ勿体ぶって。誓って本当に、あれほどの全盛を誇った身も、今は廓を離れた放し鳥。

籠かごは恨うらめし

その籠が恨めしい。

心こころくどくどあくせくと、恋こひしき人ひとをまつ山やまは、やれ末すゑかけてかいどりしゃんと、しゃんしゃんともしほらしく、君きみが定紋ぢやうもん伊達羽織だてばおり、男をとこなりけり又また女子をなごなり

心はくどくどとあくせくと。恋しい人を待つ——その松山は、末長くと掻取をしゃんと着こなし、しゃんしゃんとしていじらしい。あなたの定紋を染めた伊達羽織。男のようでもあり、また女でもある。

片袖かたそで主ぬしと眺ながめやる

その片袖をあの人と思って眺めやる。

思おもひざしなら武蔵野むさしのでなりと、何なんぢゃおりべの薄盃うすさかづきを、よいさしょうがへ、恋こひに弱身よわみを見みせまじと、ひんと強すねては背そむけて

思いを込めて差す盃なら、武蔵野の大盃でもかまわない。なに、織部焼の薄手の盃を、さあ差しましょうか。恋に弱みを見せまいと、つんとすねては背を向けて。

くねるなはなと出いでて見みれば

すねるなよ、と言って出てみれば。

女心をんなごころの強つよからで、跡あとより恋こひのせぬ来きたれば、小袖こそでにひたと抱だきつき、申まうし椀久わんきうさん

女心は強くもなれず、あとから恋しさに堪えかねて追ってきて、小袖にひしと抱きついて——「もし、椀久さん」。

〔詞〕

さってもてっきりお一人ひとりさま

それにしても、まったくお一人でしたのね。

〔鼓歌〕

ふられず帰かへる仕合しあはせの、松まつにはあらぬ太夫たいふが袖そで、月つきの漏もるより闇やみがよい

振られずに帰れる幸せ。待つ松ではないけれど、太夫の袖よ。月の漏れる夜より、いっそ闇夜がよい。

いいやいやいや、こちゃ闇やみよりも月つきがよい、お前まへもさうからと寄添よりそへば、月つきがよいとの言いひ草ぐさに、粋すゐな心こころで腹はらが立たつわいな

いいやいや、こちらは闇よりも月がよい。あなたもそうだろうと寄り添えば、「月がよい」というその言い草に、粋な心がかえって腹立たしいこと。

〔詞〕

もうこれからが口舌くぜつのだん

さあ、ここからが痴話喧嘩の始まり。

仔細しさいらしげに座ざをうつて、袖尺そでじやく着尺きじやく衣紋坂えもんざか、初冠うひかうぶりの投頭巾なげづきん、語かたるも昔むかし男山をとこやま

もったいぶって座を移し、袖尺だ着尺だ衣紋坂だと。初冠に投頭巾——語るのも昔、その「昔男」から男山。

〔筒井筒〕

筒井筒つついづつ井筒ゐづつにかけしまろがたけ、老おいにけらしないも見みざる

「筒井筒井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」——井筒に丈を比べたあの背丈も、いつのまにか越えてしまったようだ、あなたに逢わないうちに。

間まにと咏よみて贈おくりける程ほどに、其その時とき女をんなもくらべごし、振分髪ふりわけがみもかたすぎぬ、君きみならずして誰たれがあぐべきと、互たがひに詠よみし故ゆゑなれば、筒井筒つついづつの女をんなとも聞きこえし有常ありつねが娘むすめの古ふるき名ななりしぞ

そう詠んで贈ったので、女もまた背比べをして、「くらべこし振分髪も肩過ぎぬ君ならずして誰かあぐべき」——振分髪も肩を過ぎました、あなたでなくて誰のために結い上げましょうと詠み返した。それゆえ「筒井筒の女」と呼ばれた、紀有常の娘の古い名なのである。

〔詞〕

ああ古ふるい古い、女郎買ぢよらうかひも塩しほが辛からうなった

ああ古い、古い。女郎買いもすっかり味が濃くなったものだ。

お茶ちやの口切くちきりたぎらす目元めもとにとりつけば

茶の口切りの湯をたぎらせるように、熱っぽい目元に取りついてくると。

〔詞〕

ああ何なんぞいな

ああ、何ですのさ。

〔按摩〕

手持無沙汰てもちぶさたに拍子ひやうし揃そろへて業げふくれ、按摩あんま痃癖けんぴき痃癖、さりとはひきひきいねろ

手持ち無沙汰に拍子を揃えて商売の口上を。按摩、痃癖、痃癖——それにしても、ひきひき、いねろ。

自体じたい某それがしは東あづまの生うまれ、お江戸えど町中まちぢゆう見物けんぶつさまの、馴染なじみ情なさけの御贔負ごひいきつよく、按摩あんま痃癖けんぴき朝あさの六むつから日ひの暮くるるまで

そもそも手前は東国の生まれ。お江戸の町じゅう、ご見物の皆様の馴染みとお情け、ご贔屓も厚く、按摩に痃癖、朝の六つから日の暮れるまで。

〔詞〕

さりとはさりとは忝かたじけない

それにしても、それにしても、ありがたいことで。

按摩あんま冥利みやうりに叶かなふて嬉うれし

按摩冥利に尽きて嬉しいことでございます。

按摩あんま痃癖けんぴき、按摩痃癖

按摩、痃癖。按摩、痃癖。

里さとのみうら女郎様ぢよらうさまちゑごちゑ、袖そでをそっと引ひかばおお靡なびきやれ、かんまへてよいよい女郎ぢよらうの顔かほをしゃるな、ちゑごちゑ

里の三浦の女郎様、ちえごちえ。袖をそっと引いたなら、おお靡いてくださいな。決して、決して、そんなつんとした女郎の顔をなさいますな。ちえごちえ。

二人ふたりつれだち語かたるもの

二人連れ立って語り合う。

廓くるわ々は我家わがやなれば、遣手やりて禿かむろを一所いつしよにつれだち急いそぐべし

廓こそ我が家であるから、遣手も禿もいっしょに連れ立って急ごうではないか。

遊あそび嬉うれしき馴染なじみへ通かよふ

遊びも嬉しい馴染みのもとへ通う。

恋こひに焦こがれてちゃちゃとちゃとちゃと行ゆこやれ

恋に焦がれて、ちゃちゃとちゃとちゃと、さあ行こうよ。

可愛かはいがったりがられて見みたり、無理むりな口舌くぜつも遊あそびの品しなよく、彼方あちらへ言いひ抜ぬけ此方こちらへ言いひ抜ぬけ、裾すそにもつれてじゃらくらじゃらくら、じゃらくらじゃらくら悪洒落わるじやれの、花はなも実みもある仕しこなしは、一重ひとへ二重ふたへや三重みへの帯おび、蒲団ふとんの中なかぞ候さふらふかしく

可愛がったり可愛がられたり。無理な痴話喧嘩も遊びのうちで品よく、あちらへ言い抜け、こちらへ言い抜け。裾にもつれてじゃらくらじゃらくら、じゃらくらじゃらくらと戯れる。花も実もあるその仕草は、一重二重、三重に巻いた帯——そして蒲団の中へと、めでたくかしこ。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。

〔 〕で括った段の名は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。

本名題「其面影二人椀久」。大坂の椀屋久兵衛が新町の傾城松山に入れあげて狂ったという実話に基づく。

「末の松山」は陸奥の歌枕。「まつ(松・待つ)」に傾城松山の名を掛ける、この曲の要。

「飛鳥川」は「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」による。定めなさの象徴。

「筒井筒」は伊勢物語二十三段。幼なじみが井筒で背比べをし、やがて結ばれる話。ここで椀久と松山の縁になぞらえる。

「痃癖」は肩や首のこり。按摩の呼び声を写した一段は、狂乱物によくある物真似の趣向。

「三浦」は江戸吉原の名妓の家名。上方の物語のなかに江戸の風俗が混じる。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。