藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

三社祭さんじやまつり

清元  変化物としての題『弥生の花浅草祭』 別題『善玉悪玉』  瀬川如皐 述 作曲者・初演年不詳

三社祭 川辺の投網と桜
川辺の投網と桜

浅草・三社祭の由来にもとづく曲。宮戸川で観音像を網に掛けた漁師の兄弟——浜成・武成——が、弥生半ばの花の雲のもと網を打っていると、虚空から善玉・悪玉の二つの玉が現れて二人に乗り移り、そのまま善と悪の踊りになる。中ほどは悪玉の言い立てで、悪七別当・悪禅師・悪源太と「悪」の名を連ね、善玉は弘法大師のいろは、善の綱、牛に引かれてと受ける。二上りからは手玉・品玉・玉襷・玉櫛笥・玉手箱・玉鉾と玉尽くしになり、浮かれ拍子のひと踊り。結びは「歌うも舞も法の奇特に善玉は、消えて跡なく失せにけり」。江戸の顔を持つ祭礼舞踊で、賑やかな席に向く。

あらすじ

弥生半ばの花の雲。鐘は上野か浅草の、利生は深き宮戸川。誓いの網の古や、三社祭の氏子中。洩れぬ誓いや網の目に、今日の獲物も信心の御蔭。御礼に朝参り、浅草寺の観世音。網の光は夕あしや。昼網、夜網に凪もよく、乗り込む河岸の相場にしけは。生貝、生鯛、生鰯。なまぐさはんだばさらんだ、侘びた世界じゃないかいな。そなた思えば七里が灘をのう。命や捨て貝、来た物なしか、へ、戻ろうよ。捨て貝、来た物、命や。捨て貝、来た物なしか、へ、戻ろうよ。さあさ、何としょうか、どうしょうかいな。撞いてくりゃるな八幡鐘よ、可愛いお人の目をさます。お人の、人の、可愛、可愛、お人の目をさます。さあさ、何としょうか、どうしょうかいな。帰りましょ、待たしゃんせ。憎や鴉が鳴くわいな。かかる折から虚空より、風なまぐさく身に沁みる。呆れてしばし両人は、大空きっと見上げれば——善か悪かの二つの玉。現れ出たは。こいつは稀有だな。ああら不思議やな。ひとつ星なら長者にも、並んで出たる二ない星。現れ出たる二つ玉。思いがけなく落ち散る風の、ぞっと身に沁み、狼狽え伏し、悶絶するこそ。悪にとっては、ことも愚かや。悪七別当、悪禅師、保元平治に悪源太。梶原源太は梅ヶ枝を、蛭の地獄へ落とした験もありとかや。これは昔の物語。それが厭さに、気の毒さに、おいらが宗旨はありがたい。弘法大師のいろはにほへと。変わる心はからくり的、北山時雨じゃないけれど。振られて帰る晩もあり、それでお宿の首尾もよく。とかく浮世は儘にはならぬ。善に強きはこれ善の綱、牛に引かれて善悪は、浮かれ拍子のひと踊り。早い手玉や品玉の、品よく結ぶ玉襷。掛けて思いの玉櫛笥、開けて悔しき玉手箱。通う玉鉾、玉松風の、もとはささんさで歌えや、歌えや。浮かれ鴉の烏羽玉や。うややれ、うややれ、うややれ。そうだぞ、そうだぞと声々に。しどもなや。歌うも舞も法の奇特に善玉は、消えて跡なく失せにけり。

詞章と現代語訳

弥生半やよひなかばはなくも〔合〕かね上野うへの浅草あさくさの、利生りしやうふか宮戸川みやとがはちかひあみふるや、三社祭さんじやまつり氏子中うぢこぢゆう

弥生半ばの花の雲。鐘は上野か浅草の、利生は深き宮戸川。誓いの網の古や、三社祭の氏子中。

れぬちかひあみに、今日けふ獲物えもの信心しんじんの〔合〕御蔭御礼おかげおれい朝参あさまゐり、浅草寺せんそうじ観世音くわんぜおんあみひかりゆふあしや〔合〕昼網夜網ひるあみよあみなぎもよく、乗込のりこむ〔合〕河岸かし相場さうばにしけは〔合〕生貝生鯛生鰯なまがひなまだひなまいわし、なまぐさはんだばさらんだ、わびた世界せかいぢやないかいな〔合〕そなたおもへば七里しちりなだをのふ、いのち捨貝すてがひきたものなしかへもどろふよ、捨貝すてがひものいのちや〔合〕捨貝すてがひものなしかへもどろふよ、サアサなにとしよかどしよかいな

洩れぬ誓いや網の目に、今日の獲物も信心の御蔭。御礼に朝参り、浅草寺の観世音。網の光は夕あしや。昼網、夜網に凪もよく、乗り込む河岸の相場にしけは。生貝、生鯛、生鰯。なまぐさはんだばさらんだ、侘びた世界じゃないかいな。そなた思えば七里が灘をのう。命や捨て貝、来た物なしか、へ、戻ろうよ。捨て貝、来た物、命や。捨て貝、来た物なしか、へ、戻ろうよ。さあさ、何としょうか、どうしょうかいな。

いてりやるな八幡鐘やはたがねよ、可愛かわいいおひとをさます、おひとひと可愛かわい可愛かわいひとをさます、サアサなにとしよかどしよかいな

撞いてくりゃるな八幡鐘よ、可愛いお人の目をさます。お人の、人の、可愛、可愛、お人の目をさます。さあさ、何としょうか、どうしょうかいな。

かへりましよたしやんせ、にくからすくわいな

帰りましょ、待たしゃんせ。憎や鴉が鳴くわいな。

をりから虚空こくうより、かぜなまぐさくむる、あきれてしば両人りやうにんは、大空おほぞらきつとあぐれば

かかる折から虚空より、風なまぐさく身に沁みる。呆れてしばし両人は、大空きっと見上げれば——

ぜんあくかのふたつのたま

善か悪かの二つの玉。

あらはれたは

現れ出たは。

こいつは稀有けうだな

こいつは稀有だな。

あゝら〔合〕不思議ふしぎやな〔合〕ひとつぼしなら〔合〕長者ちやうじやにも、ならんでたるふたないぼし、あらはれたるふただまおもひがけなく落散おちちかぜの、ぞつと狼狽伏うろたへふし、悶絶もんぜつするこそ〔合〕

ああら不思議やな。ひとつ星なら長者にも、並んで出たる二ない星。現れ出たる二つ玉。思いがけなく落ち散る風の、ぞっと身に沁み、狼狽え伏し、悶絶するこそ。

あくにとつては〔合〕こともおろかや〔合〕悪七別当あくしちべつたう〔合〕悪禅師あくぜんじ〔合〕保元平治ほうげんへいぢ悪源太あくげんた梶原源太かぢはらげんたうめを、ひる地獄ぢごくおとしたしるしありとかや〔合〕

悪にとっては、ことも愚かや。悪七別当、悪禅師、保元平治に悪源太。梶原源太は梅ヶ枝を、蛭の地獄へ落とした験もありとかや。

これむかし物語ものがたり

これは昔の物語。

それがいやさにどくさに、をいらが宗旨しゆうし有難ありがたい、弘法大師こうぼふだいしのいろはにほへと〔合〕かはこゝろはからくりまと北山時雨きたやましぐれぢやないけれど〔合〕

それが厭さに、気の毒さに、おいらが宗旨はありがたい。弘法大師のいろはにほへと。変わる心はからくり的、北山時雨じゃないけれど。

ふられてかへばんもあり、それでお宿やど首尾しゆびもよく〔合〕兎角とかく浮世うきよまゝにはならぬ〔合〕ぜんつよきはコレぜんつなうしひかれて善悪ぜんあくは、うか拍子びやうしのひとをどり

振られて帰る晩もあり、それでお宿の首尾もよく。とかく浮世は儘にはならぬ。善に強きはこれ善の綱、牛に引かれて善悪は、浮かれ拍子のひと踊り。

〔二上り〕

はや手玉てだま品玉しなだまの〔合〕しなよくむす玉襷たまだすき、かけておもひ玉櫛笥たまくしげ〔合〕あけてくやしき玉手箱たまてばこ〔合〕

早い手玉や品玉の、品よく結ぶ玉襷。掛けて思いの玉櫛笥、開けて悔しき玉手箱。

かよふ玉鉾たまぼこ玉松風たままつかぜの、もとはさゝんさでうたへやうたへや〔合〕うかがらす烏羽玉うばたまや、うややれうややれうややれ、そうだぞそうだぞ声々こゑごゑ

通う玉鉾、玉松風の、もとはささんさで歌えや、歌えや。浮かれ鴉の烏羽玉や。うややれ、うややれ、うややれ。そうだぞ、そうだぞと声々に。

しどもなや

しどもなや。

うたふもまひのり奇特きどく善玉ぜんだまは、えてあとなくせにけり

歌うも舞も法の奇特に善玉は、消えて跡なく失せにけり。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号はいずれも直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。

変化物としての題は『弥生の花浅草祭』(やよひのはなあさくさまつり)。別題『善玉悪玉』。瀬川如皐 述。作曲者・初演年は原典に記載がない。

三社祭は浅草神社の祭礼。推古天皇の代、宮戸川(隅田川の下流の古称)で漁をしていた檜前浜成・武成の兄弟が観音像を網に掛け、土師中知がこれを祀ったのが浅草寺の起こりで、この三人を祀るのが三社である。曲の前半はその漁師の場面にあたる。

「善玉」「悪玉」は、顔に「善」「悪」の字を書いた玉のような姿で描かれる戯画の人物。山東京伝の黄表紙『心学早染草』に始まる趣向で、人の心に善玉悪玉が乗り移るという見立てによる。

中ほどは「悪」の名寄せ。悪七別当は平景清、悪禅師は源全成、悪源太は源義平を指す。「梶原源太は梅ヶ枝を、蛭の地獄へ落とした」は浄瑠璃『ひらかな盛衰記』の無間の鐘の件による。

「善の綱」は寺の本尊と参詣人を結ぶ綱。「牛に引かれて」は善光寺参りの諺による。

「なまぐさはんだばさらんだ」は生臭に真言をもじった囃子詞と見られる。

語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「命や捨貝きた物なしかへもどろふよ」(漁師の唄と見られるが切り方が定めがたい)、「網の光は夕あしや」、「北山時雨ぢやないけれど」、「もとはさゝんさで」「うややれ」「しどもなや」(いずれも囃子詞)。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。