藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
荻江

ますかがみますかがみ

荻江節  作詞者・作曲者・初演年不詳

ますかがみ 文結ぶ梅
文結ぶ梅

恋文をしたためる女心を、墨・紙・筆の命毛と、文尽くしのことばで綴り、「候べく候、かしこ」と手紙の結び文句そのままに納める小品。曲名の真澄鏡は、憂きことも隠さず映す澄んだ鏡。筒井筒の「くらべこし」、解ける「関の下紐」など、古歌のことばを織り込んでゆく。他の曲と異なり『徳川文芸類聚』所収の荻江節正本による。

あらすじ

澄んだ世であったなら、憂き世とはわたしは言わないのに——と、今の身を、筒井筒の「くらべこし」の幼なじみの恋になぞらえる。ほんに誰が言うた、無理じゃないわいな。その憂きことも、真澄鏡に映すようにありのまま。同じ流れを汲む仲、みちのくの関の下紐は、想われるしるしにふとしたことから解けて乱れて、それでも元結のように末長かれと結び交わした仲。ふたりの仲の恋種は、草葉に重なる露ではなくて、涙に濡れて墨のにじむ文の紙。あからさまには言えないけれど、岩橋の絶えることのない思いは、筆の命毛にまかせ申し候べく——候、かしこ。

詞章と現代語訳

〔三ノギン〕

なりせばとは、わしやはなくにいま

澄んだ世であったなら、憂き世とは、わたしは言わないのに。今のこの身は。

〔ギン〕

くらべこしたるによそへ、ほんにふた無理むりじやないわいナ

「くらべこし」——筒井筒の幼なじみの恋に、わが身をなぞらえて。ほんに、誰が言うた、無理じゃないわいな。

〔三ノギン〕

そのきことも真澄鏡ますかゞみ

その憂きことも、真澄鏡に映すように、ありのまま。

〔カンクル〕

おなながれをみちのくの

同じ流れを汲む仲、みちのくの。

〔中ギン〕

せきしたひもうちつけにけてみだれて元結もとゆひの、すへながかれとむすびてし

関の下紐は、想われるしるしに、ふとしたことから解けて乱れて。それでも元結のように、末長かれと結び交わした仲。

ふたりがなか恋種こひだねおもきがうへつゆならで、れて墨散すみちるのべがみの、あからさまにははばしのえぬおもひは命毛いのちげにまかせさうらふべく

ふたりの仲の恋種は、草葉に重なる露ではなくて、涙に濡れて墨のにじむ文の紙。あからさまには言えないけれど——岩橋の、絶えることのない思いは、筆の命毛にまかせ申し候べく。

〔トメ〕

さうらふかしこ

候、かしこ。

この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『荻江節正本』の本文(著作権消滅)により、章句の記号は原典のまま段の頭に残し、合方の指示は省いた。

原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。

「くらべこし」は『伊勢物語』筒井筒の歌「くらべこし振分髪も肩過ぎぬ」による。幼いころから連れ添った恋のたとえ。

「真澄鏡」は曇りなく澄んだ鏡。憂きことも隠さず映す心に掛ける。

下紐がひとりでに解けるのは、人に想われているしるしという歌の言い習わし。「みちのくの関」は歌枕の縁で、関の「せき」から下紐へ続ける。「元結」は髪を結ぶ紐で、「末長かれと結ぶ」へ掛かる。

「のべがみ」は書状に使う延べ紙に、露の縁で野辺を掛けたものか。「いはばしの」は「言はば」に歌枕「岩橋の」を掛けて「絶えぬ」へ続ける。「命毛」は筆の穂先の長い毛のことで、文に命を託す言い回し。

結びの「候べく候、かしこ」は、女の手紙の結び文句をそのまま取り込んだもの。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。